掃除ができない(詩)
帰宅して、私は小さな違和感に気がつく。ユニットバス、洗面台に置かれていたいくつかのシャンプーやボディーソープがなくなっている。それらは居候するあの娘のものである。
(ああ、そうか、25日、別の家に入居するのが24日)
私がいない間にいくつかの日用品を持っていったのであろう。すっかり綺麗に片付いた洗面台に何か季節の終わりを感じる。何かがあった場所に何もないということ、空虚は水や汚れの円形によって表現される。過去ここには何かがあった。その痕跡ほど、季節と寂しさを結びつけるなものはないのである。
綺麗に掃除をするというのは痕跡を消すこと、つまり更新なのではないか。ここはこういう場所で、これが正常だ、それを世界に示すことこそ掃除なのじゃないかと思う。掃除の苦手な私というのは案外、その痕跡とそれに繋がる過去を愛でたいと思っているだけなのかもしれない。
フキンで水をさっと拭き取り、(これで更新完了!)とでも言わんばかりに私は洗面台を出る。先ほど気づかなかったが、玄関に青い歯ブラシが落ちている。
(あの娘の使ってたものだ)
洗面台のコップに場所を構えていた彼女の歯ブラシは今や、玄関に落っこちて、さながら死んだ小動物のようだ。恐らくもう使わないから捨てようと思い、シンクにある掃除用の使い古し歯ブラシを見て思いとどまったのであろう。新しい歯ブラシを買ったから用済みのこの歯ブラシは必要ない、かといって捨てるのも勿体無いのかもしれない、そんな逡巡の帰結が玄関の歯ブラシ。私はその歯ブラシをひろい、シンクの傍におく。
(捨てればよかったのに)
私は、ぼんやり彼女の新しい暮らしを思い、コートを脱ぐのであった。
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