RUN(詩)

 息も絶え絶えに、私は疾走する。隣では店主が仕事終わりの体に鞭を打ち、自転車を押している。今や鞭打たれるのは馬ではなくなった。電車の走る高架の横。あたりはすっかり夜である。買い物かごを手に下げた人や、退屈な仕事を終えたであろう人の顔、顔。全ては流れていく景色でしかなく、彼らにも人生があるであろうことなど微塵も感じず、真っ直ぐに道は続く。
「せっかくだし、走りますか」
 そういって駆け出したのは私であった。
「わざわざ自転車の私にあわせなくてもいいのに、いい年した人が走ると怪我しますよ」
喫茶店主の嫁が焼肉を食べたいらしく、私も誘われ、三つ先の駅で落ち合うことになったのである。
(私は自転車なので、〇〇さんは電車に乗ってください)
電車に乗るのはなんだかつまらない気がして、「いや、お構いなく」と告げ、私は夜の闇に駆け出したのである。
「今日いらしてた〇〇さん素敵な方でしたね」
「そうですね、でも店主さん本当にあの人のnote記事全部読んでるんだもの、流石に気持ち悪いですよ」
「純粋に文章上手いから読めちゃうんですよ」
今日私がたまたま馴染みの喫茶店にいくと、私の知り合いであるウェブライターの女性がきていた。数日前の私の弾き語りライブの際、この店の常連たちと仲良くなったらしい。店主は元々、彼女の記事が話題になっていたことを知っていたようで、丁度有名人にたまたま出会ってしまったような浮かれ方をしていたのである。
「いや、でもあの人は元々天才的だったわけじゃなく、苦労してスキルを得たのだということが、本当にすごいなと。あと、写真が単純によくて、自身も撮られるからわかることがあるんでしょうね」
「確かに、写真って撮られる側からするとこの人そんなに自分のこと好きじゃないんだろうなとか分かりますもんね」
「ええ、ただ、写真に関しては自分も撮るからわかるけど、あの方最初からセンスあるんですよね、悔しい」
「へえ、そういうもんですか」
3駅分完走してやろうというつもりでいた私はすっかりヘロヘロになり、もはや返事をする気力もないのである。
「すいません、やっぱりギブアップで」
「ええ、あなたが言い出したんですよ、まあよいけど」
「いやあ、やっぱ衰えを感じますね」
 そんな予感はしていたのである。一駅も行かずに私の足は棒となり、やめやめと笑って誤魔化す様。しかし、思いの外粘ってしまったのはおそらく、楽しかったからに他ならない。過ぎていく景色も、スピードも楽しかったのだ。
 「なんで走ったんですか」
「夜に走るのって青春っぽくないですか?」
「わからなくもない」
「でしょ?」
「ここを右に曲がります」
「カーナビみたいですね」
「カーナビは道案内の最適化の結果だから、この言い方が1番よいのです」
全てのものは最適化されていく。ダメなものは淘汰され、最適であったものだけが生き残るのである。であるなら、私たちも最適化の成れの果てだ。この夜の疾走も、ウェブライターの彼女の丁寧さも、きっと全てが現在の時点で輝かしい勝利なのだ。それは祝福であり、祝福されたもの以外は存在しえないというこの世界の美しさなのである。
「焼肉食べ放題にするつもりですけどよいですか?妻が食べ放題をご所望なんです」
「いいけど、そんなにお腹減ってないかも、あ、さっき僕オムライス食べてたじゃないですか!」
「あ、確かに!私作りましたね!提供しました!」
「だから走りたかったのかも」
回答は常に出ているのである。しかし、それを私たちは青春だとか色んな理由と取り違える。取り違えってスクスクと育った赤ん坊はたとえ血が繋がってなかったとしても愛おしい。そこに愛があることに変わりはないのだから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?