無題(詩)

 職場の同僚がふざけたのを私は空返事で返し、同僚はしょぼくれた顔をする。面白くなかったのではなく、それよりも別のことで私の頭はいっぱいで、正常に処理できなかったのである。ゆえに悪いことをしているという自覚。弁解の必要を感じたのであった。
 「いや、ちがくて」
「おん、どしたの?」
「ほら例の僕の家に居候してるヤツいるじゃないですか?アイツからさっきメッセージきて、(3月24日に家入居することになったからでていく。今泊まったりしてる人が車持ってるから荷物は車で運んでもらうけど4月頭にまでスケジュールあわないから荷物もうちょい置かせてごめんね)って」
「うぇ、何それ、その泊めてくれてる人って誰!」
「しらんす、しらんし、勝手にしろやって思うんだけど、なんかすげームカついて、なんだかなぁって」
「きっついなぁ」
「おれ、明日xxxxの収録ですよ。なんかすげーやな気分でやることなるなあ」
「そりゃそうよなあ」
「やる曲が、三連休どこにいく?って彼女に聴く曲なんですけど」
「そりゃまた」
そう言って同僚は吹き出す。
「xxxx史上初めて号泣しながらやるかもですわ。俺だって三連休どこいくって聞きたかったよ、車とか運転してさあ」
「いやお前、サポートでしょ?サポートのヤツ泣きながらやってたらクッソ笑うわ」
「そうっすよ、なんならそれでバズるじゃないですか?あーもうクソー!」
そう言って私は昼休憩を取りに執務室を出る。私の周りはいつも苦笑いばかりである。
 ごめんね、という一言が私にはとても腹立たしかったのだ。なぜだか無性に、その言葉に、卑怯さを感じたのである。彼女は卑怯だ。まったくもって卑怯きまわりない。悪の覚悟もなく悪をなす愚か者だ。私もきっとそうだが、今、私にはそんなことはどうでもいいのである。倫理や整合性、常識、道徳、全て不要である。
 もはや、彼女に対する恋慕はついえて、ただ閑散としたまばらなイバラのみがのこるのだ。それらは決して私に有用性をもたらさず、なんならば、いくつかのトゲには遅効性、即効性、各種の毒が仕込まれているのである。仕込んだのは私かもしれない。そんなことはどうでもいい。もうどうだっていいのである。
 (一生俺に謝らないで、クソウザいから)
一言メッセージを返信しスマホをオフにする。たまらずビルの吹き抜けを見ながら、あーあやっちゃった、もういっか、と独り言。独り言は、自らが抱えきれないとき、言葉となって空気を震わせるのである。何一つ起きてないし、何一つ変わらないのに、無性に、意味や理由なく、私の世界は振動する。その振動の余波が独り言であるし、そのピンと張り詰めた弦振動こそが、私のやるせなさなのである。

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