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【短編】醒める

丸まった羽毛布団をめぐると、知らないおっさんと目が合った。

「わがぁっ」

持っていたペットボトルを振り飛ばして廊下を突っ切り外に出た。松田は念の為に表札を確認した。
『松田』だ。自分のことである。田の右上の窓が油性ペンで黒塗りされているので間違いない。
ドアを背に、ズルズルと腰が抜けていった。

一気に酔いが醒めた。

コロナが明けて久々の飲み会だった。明日は予定が入っていないので、シャワーも浴びずに布団へダイブするため、帰宅早々寝室へと向かったはいいがこれは何の事態だ。
布団をめくればトランクス&白シャツを着た横向きのおっさんがいたとはこれいかに。

「何なんだよクソ……」

悪態をついていなければ現実と向き合えなかった。

『何かあった時は電話帳のお気に入りに登録した番号にかけるといい』

誰かの声が頭の中で再生された。ほとんど自動的にポケットに手を入れスマホを取り出していた。
お気に入りには『ハシビロコウ』と記されていた。

自分は相当酔っているらしい。心当たりのない登録名だった。飲み会の時にいじったのか? 全くわからない。

『何でもいい。何か起こった都度この番号にかけるんだ。いいな?』

また、知らない誰かの声が頭の中で響いた。
松田はその声がするのと同時に電話をかけていた。
ワンコールもしないうちに向こうが電話を取った。

『松田か、どうした? さっき別れたばかりだろう』

「あ、や、んん?」

『あぁ……、どうした?』

ハシビロコウとは友達のうちの誰かなようだ。

「俺も訳がわからなくて」

『覚えているところから話すんだ』

「あー、えー……。じゃあ、家に帰ったら自分の布団の中に変なおじさんがいて、やべぇってなって、部屋から出て今ドアの外にいる」

『……そうか。家に帰る前は何してたんだ?』

「え? えーっと……」

『いい、わかった。外なんだな?』

「あぁ」

『そのままいてくれ』

「そのまま? って、おい……! 切るの早過ぎだろ……」

一方的に電話が切られた。唯一の希望が絶たれてしまった。
絶望の束の間、コンコン、と背にしたドアの内側からノックのような音がした。

松田は仰け反ってドアから離れた。対峙したドアはとても静かだった。
空耳かと思えてしまうような長い静寂の後、

コンコン

「!」

『ーー松田さん、いますか?』

ドア越しのくぐもった声で問われた。松田は慌てて外から鍵をかけようと、元々鍵なんて入れていないのにも関わらず一縷の望みをかけてポケットをまさぐった。が、中から鍵の開閉ができるので、無駄な行為と悟ってやめた

『怪しいものではありません。松田さん、びっくりされると思いますが、落ち着いてください。聞きたいことがあるんです』

怪しくないわけあるか。落ち着いていられるか。

『松田さーん? ……ッブクシュ! んあ〜』

松田は鼻水を啜った男の様子に少し警戒心を解いた。

「もう、俺、電話しましたから」

『ズビビビビ! ……何か言いました?』

「俺、ケーサツに電話しましたから!」

電話をしていたのは真実だ。それが本当は警察ではないだけで、なけなしの勇気でハッタリをかました。

『警察ですかー……厄介ですが、まぁいいでしょう。どのくらいで到着されますか?』

「え? えー……もうあとちょっとだと」

『左様ですか。わかりました。お会いしてみたいと思っていたところです。ところで、そろそろドアを開けてもいいでしょうか? こちらには松田さんを傷つける意思はありません。ちょっとお伺いしたいことがあるのです』

口調の丁寧さ、そしていつでも相手がその気になれば自分の部屋をどうにでもできるのに、荒らさず自分と交渉を図っている点、攻撃の意思はなさそうだと判断し、ドアを押さえる手を緩める気になった。

「……。じゃあ、どぞ」

「ありがとうございます。驚かせてしまいすみません、そしてはじめまして、松田さん。私はこういう者です」

『タイムホール対策課 係長 藤山 昇田』

身につけた服とハードジェルで整えられた髪のギャップに無頓着な男は、にかっと愛想笑いをしてみせた。

◇ ◇ ◇

松田から連絡を受けた男は、暇つぶしで浸っていた用済みのバーを出て、松田のアパートに向かった。

自身がお笑い芸人だと忘れた松田に呼び出されるのはこれで何度目か。また何かのドッキリを仕掛けられてあたふたしているんじゃなかろうか。

視聴者は松田が記憶障害であることを知らない。ゆえに、そのあたふた具合を視聴者が『毎度新鮮な反応をする』と腹を抱えて笑い、近年特に評判になっていた。

松田の部屋の窓には灯りがついていた。
インターホンを押すと、知らない男の声で応答があった。

「松田じゃないな。どちら様です?」

『藤山という者です。お待ち申し上げておりました。ところでこの時代の警察は鳥の名前で呼ばれていたんですか? 知りませんでした』

「……開けてくれませんか」

『あぁ、はいはい、只今』

仕事関係者のどの知り合いでもないなとぼんやり考えていると、首から上だけしっかり決めた男が出てきた。

◇ ◇ ◇

通された松田の部屋では、藤山が壮大な話を展開し始めた。

30XX年の人間は、世界的大企業パイナポーの革新的な端末の開発により、過去にタイムスリップする手段を得ていた。ただ、端末と移動先は法律に則り、登録された端末から移動できるのは、これもまた登録された移動先に限られていた。

しかし、何に対しても穴があるのは30XX年の世でも同じで、一部の人間たちにより違法なタイムスリップが行われていた。
登録されていない場所へのタイムスリップである。
松田の布団はその違法なタイムスリップの座標のひとつであった。違法な移動先のことをタイムホールという。

松田の布団には、これまで何百と通られた形跡があると藤山は語った。
松田は自分の布団の中で眠っていた。

「ーー松田さんにはあなたが来る少し前から眠っていただきました。
すでに松田さんの状況は危険です。目が覚める頃にはやはりこのこともすっかり忘れているでしょう。松田さんの様子で最近おかしなところがあったのではないですか?」

ハシビロコウーー嘴平はすぐに合点がいった。

「最近というか、こいつはちょうど1年くらい前から、過去の出来事を覚えていられなくなってきていた。ここ最近になるともっと酷くて、数時間前のことを忘れるようになってきて、マネージャーの俺が逐一必要な情報とそうじゃないものに整理してこいつとやり取りしなきゃいけなかった。
病院には半年前には行って検査もしたが、アルツハイマーでもないし、原因不明だと言われてなす術がなくて、経過観察するしかなかった。
そうだとしても俺は仕事をすべきじゃないと思ったが、そんな状況でも、稼ぎ期は今だと会社が仕事を詰め込んで、こいつも『先がわからないのに稼げる今動かないでどうする』つって、休む暇がなく今日まできてしまったんだ……」

嘴平は、誰にも打ち明けられなかった松田の秘密や自身の不安を吐露し、頭を抱えた。
藤山は、嘴平が警察ではないことを非常に残念がったが、公務員として余計なことは言わないでおいた。

「ここまで松田さんの状態が悪くなるまでここのタイムホールを突き止められなかった我が課の落ち度でもあります。松田さんの状態にはおそらくこういうことが考えられます」

藤山はトランクスから銀のペンを取り出した。
トランクスから。嘴平は二度見したが、藤山は気にすることなく続けた。

「これです。タイムホールを潜った人物たちが、おそらく松田さんに逐一『忘却光』を見させていたのでしょう。『メン・イン・ブラック』この時代からの名作でしょう?」

トミーリージョーンズが使っていたあのペンだ。気付くのと同時に嘴平は自分の目を手で覆っていた。

「あぁ、失礼いたしました。やりませんし、ただちにしまうことにします。
これは不用意に実行してはいけないものなのです」

「どうして?」

「人体、特に脳に大きな悪影響があると研究で明らかになってきたからです。つまり、松田さんの記憶障害は忘却光の副作用なのです」

「…治療法はあるのか」

「完全な治療法はこちらではまだありません。ですが、これ以上の忘却光を浴びず、この時代のリハビリプログラムでも構いません、この方に休息とリハビリをできれば二年、続けてください。日常生活には困らないレベルまで改善が見込まれるはずです」

嘴平は大きく息を吐いた。我ながらとても緊張していたようだ。

「わかった」

「起きたら松田さんにも正式に許可を取って、ホールを塞いでいきたいと思いますので、その際は二人ともいったんこの部屋から退室願えますでしょうか。塞ぐにしてもまた人体によくない光などを使いますので」

「藤山さんには影響がないのか?」

「ご心配無用です。それなりの準備でもって作業をするので」

藤山はちゃぶ台の向こうでこちらに背を向けた。

嘴平は隅にあったダンベルで藤山を殴り、殺害した。

◇ ◇ ◇

半年後、ひとりのお笑い芸人が自殺し世間を騒然とさせた。その大きなニュースの陰では、芸人のマネージャーも行方不明になったニュースもあったが、ネット内の膨大な情報の海に埋もれていった。

お笑い芸人に親しい人たちは口を揃えて、彼が働き過ぎであること、忘れっぽくなってきてやり取りに困難が出てきてたこと、最近は物覚えが悪い自身を責めいてたと語った。

【完】

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★あとがきは後日 ! メリークリスマスーー ‼︎

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