やる気はあるんですよ

 早く終わらせたいという気持ちを抑えられないくせに、頭は空っぽなんですよ。創作砂漠で目覚めたら最後、「なんかいいアイデア、テーマないかな」なんて、一粒のダイヤの粉を砂漠から探すようなものだ。つまり無駄な努力で、どんな考えも何もかも灰色に見えてしまう。思考の図書館で、何を読もうかと思案しているうちに、何が読みたいか分からなくなってしまうのだ。そしてどうでもよくなるのだ。
 が、書かないわけにはいかない。
 パソコンがクラッシュしたわけでなし、事故に遭って意識不明でもなく、失明もしていない。
 そう。書かない言い訳はできないのだ。するつもりは毛頭ないが、この文章自体が長々とした言い訳そのものである。非常に心苦しい限りであり、出来れば避けたいことだが、そう毎日、「言いたいこと」などあろうはずもない。そこまで脳髄がスパークしていたら、脳内でドラッグが自動生成されているとしか思えず、自家中毒であの世行きである。現世に留まる私にあっては、やる気は充分であり、一介の物書きの端くれの一繊維一本であると自負している。
 とどのつまり空回りしている、ということです。甲高い音を立てて、膝から糸を切ったように崩れおち、風が吹けば四散するほど脆いそんな精神状態です。こんな酷い状態になったのは、一度や二度ではない。これは宿命か、才能の限界か、なんでもいいからスラスラと書けるようになりたい。
 スラスラ。
 いや。内容が良くないとね。粗製乱造は卒業しないと、いい加減にね。毎日note生活もとっくの昔、悠久の彼方に二年目を迎えたというのに。
 とんでもねぇド腐れビッチのケツを思い切り蹴り上げたところで、肛門が火を噴くだけであって、何も残らない。気合と根性でいい文章が書けたら苦労はない。
 それにしても嫌気が差し始めた。特に構成を決めるわけでなく、ただつらつらと場当たり的七転八倒のでんぐり返しをつづけていたら、私の心は傷ついて、涙の雫も頬をつたうというもの。
 やる気はあるんですよ。頭が空っぽなだけでね。空洞のピーマンを真っ二つに唐竹割りしてやり、流石にこれで終わってはまずいので、何か良いモノを引きずり出してやる。
「もぬけの殻だよ」
 ここで、1997年7月19日に公開された、
『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の劇中挿入歌。『甘き死よ、来たれ』の日本語訳詩を引用します。

私はあなたを失望させてきた
無駄な努力をずっとしてきた
誰かの為でもなく
ずっと独りで生きていけると思ってた
でも、辛い想いを乗り越えて
出会ってきた全ての人に感謝を示す時が来た
愛することは
何よりも大事な事なんだって分かったの

けれど、悲しいことに
私が今できる唯一の事は
全てを終わらせて
永遠に存在を消す事なの
過去の出来事には悲しい事や
幸せな日常もあったけれど、今は違う
誰かを愛する時はもう二度と訪れない
そして、私の世界は終わりを告げていくの

時間を巻き戻せたらどんなに良いだろうか
全ての罪が今となっては私のものになってしまったの
愛してきた人からの信頼が無ければ
もう生きていく事は出来ないの
過去の出来事を忘れる事や
愛の誇りを忘れる事は出来ない
そんな思い出が私を壊していくんだ

全てが無へと還っていき、全てが崩れていく
全てが無になり、私の心が壊れていく

心の底から思う事がある
もう二度と誰かの愛を求めたりしないって
私は全てを失ったのよ
全てを失ったの
私にとって意味のあるもの全てを
この世界で意味のあるもの全てを

あの時、あの場所に戻ることが出来たらどんなに良いだろう
全ての罪を私が背負わなければならないから
愛した人からの信頼が無ければ
生きていく事は出来ないの
過去の出来事は忘れる事が出来ないし
そんな想いが私の中を壊していくんだ

全てが無に還っていき、全てが崩れていく
全てが無になり、私が壊れていく

全てが無に還っていき、全てが崩れていく
全てが無になり、私が壊れていく

 もうね、こんな気分です。明るい文体で、底なしに暗いやつ書きたいな、ダウナーなやつ。良いよね、売れないよね、理解されないものに価値なんてないかな。
 だが。魅力的ではある。憧れる。暗いだけでは受け入れられないので、工夫が必要ですね。
 なんて言って、
『甘き死よ、来たれ』を引用することで文字数を稼ぐという、姑息な手段に打って出るほど頭ピーマンですよ、今日は。
 やる気はあるんですよ。大事なことだから、何度でも言います。そのやる気を明日こそは爆発させると誓い、
 枕元の本棚に森見登美彦先生のエッセイ大全集『太陽と乙女』を置いて、終わろうと思う。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?