墓参り

 夜が明け空は白みだし、朝とはいえすでに薄ら暑い。
 青年はいつもより早く起き、墓参りの準備を整える。線香、マッチ、タオル、鋸、軍手をリュックサックに詰め込む。シャンプーを済ませ、着替えて、朝六時に出発する。
 普段は利用のない駅へ向かう途中、地元でありながら変化を見逃していたことを知る。増築や、新築、新たな店舗と世の中は未来へ進んでいるのかと、時の流れを感じる。
 築年を無駄に重ねた自宅を思うと、自身の人生が前進していないように思われ、取り残された感が否めない。気にしたとして、何の意味も無いと歩みを進める。お供えの花を買おうとコンビニ二件に入ったが、販売しておらず、焦る。
「無ければスーパーで買って、仏壇に供えよう」
 そう思い直し、駅に到着する。
 そこは或る路線の地下駅で、どこか懐かしく、昭和末期の雰囲気が漂っていた。どこか仄暗く、昔のセンスでつくられた空気を吸いながら電車を待つ。ほどなくしてやってきた電車に乗り込み10分、地上にでては地下に潜り、また地上へでたと思えば到着した。 
 そして暑い。
 朝6時45分。すでにそこは夏だった。
 前方を歩く男子学生二人は、地元の子だろうか。ちんたらしているので追い越し、一路、霊園へ向かう。
 周辺は梨農家と公園があるのみで、長閑である。しかし着実に暑い空気の圧力が、容赦なく襲ってくる。それを押し切るようにして、汗を拭い、霊園に入る。
 毎度のことであるが、どこに我が家の墓石があるか迷ってしまう。一年に一二度しか訪れないのだから仕方ないが、情けない。緩い坂道を一歩一歩登り切り、ようやくたどり着いた、墓。
 これも毎度のことであるが、正面からみて左側の墓がジャングルになっている。当然のようにダイナミックな雑草が進出してきている。ほんの一瞬、苛ついたが慣れたもので、鋸でばっさばっさと切り捨てていく。
 それをその墓に放り込んでいく。くほほ。心の中で笑ってしまう。ふざけやがって、余計な作業をさせた罰だ。追加で、くほほ。放りこむ。ほーれ、ホレと境界を越えた草の伐採を終える。
 そして本丸の草抜き。そのなかに、気を付けるべき草がある。名は分らないが、茎の部分に棘がある。根元から引っこ抜いていくことで、棘を避けることが出来る。しばらく草を抜いていると、強烈な日光が、まだ朝7時台というのに容赦なく照りつける。
 暑苦しい。
 アクエリアスや塩レモン飲料を、がぶがぶ飲む。何度も墓石の周辺を周るように草を抜く。そしてまた飲む。そのループである。
「もう、このくらいか」
 青年は持参した飲料を飲み切り、草抜きを終えることを決める。
 コップの水と、備え付きの塩化ビニール製の花瓶の水を変えて、お供え花を供える。
 墓の頭から水をかけ、墓石に流れる水を見る。
「俺は偉いな。こんな暑いなか」
 大量の汗をかいたことで、ほんの少しの朦朧のなかで線香をあげる。
 これで墓参りは終わり。
 青年は見違えるように綺麗になった墓をみて、言った。
「また来るよ。もう帰るよ。見守っていてくれよ」
 すぐには、その場を離れなかった。
 と、言っても僅か3分程度の滞在延長であるが、作業終了、即帰る。とならないのは何故か。素っ気ないからか、普段やって来る機会もないからか、
 或る意味で家族団欒だからか。
 生者は私だけ。一年に一度から二度の再会。後ろ髪を引かれる、というほどの強度はないが、引き留められる感覚はある。
 それでも「また来る」と再度挨拶して、霊園をでる。
 青年は駅を目指す。
 心臓が早鐘を打ち、呼吸は荒くなり、酷暑のなかで座り込む。耐え切れないほど苦しい瞬間もあり、最悪、熱中症の手前かもしれない。
 そして、この道には歩道がない。路側帯は狭く、雑草が生え放題のために車に気を遣わなくてはいけない。片田舎はこれだから嫌だ。歩行者を想定していないのだ。何度か休みがながら駅に着くと、ベンチで休憩しアクエリアスを体に流し込む。
 汗でぐっしょりになりながら、帰りの電車は涼しかった。しかし体調は悪い。頭が重く、僅かながら腹痛もあり、屋外での作業の恐ろしさを実感する。墓参りを終え、買い物を済ませ自宅に帰るとシャワーを浴び、ベッドで力尽きた。それはしんなりしたものだった。
 ベッドの上で、墓参りは何故するのか考える。
 それは、亡くなった家族との再会であると結論付けた。
 そして、自分を見つめ直す時間なのかもしれない。
 昼食を終えて、冷房が効きだしたところで眠りに落ちることにした。
 お盆休みのハイライトは幕を閉じた。

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