廃疾を抱えて

 この惑星の下層域は、常に薄霧、ろくに太陽の光りも差しこまない。
 すでに上層域のあらゆる場所は朝だったが、ここはまだ夜に等しかった。いつもの夜よりも暗くて、霧が濃かった。
「やけに関節が痛むな。湿気が度を超してやがる」
 湿気には毒が含まれている。上層域から排出される排気による影響で、あらゆる疾病、重篤な癌、障害を誘発していた。
 エスもご多分に漏れず、感染症のせいか、重い関節痛に悩まされている。
「配給、配給、もらわないと」
 物乞いやホームレス、薬物中毒者を交わしながら、霧に光りが滲むなかをなんとか身体をひきずって配給所に辿り着いた。
「エスじゃないか。今週の分はこれだ」
 たん瘤をかき集めたような醜形の親父は、食品が詰め込まれた紙袋をカウンターにのせた。
 中を覗き見ると、パック詰めされた模造食品が乱雑に放り込まれている。
「少ないよ、飢え死にしちまう」
「贅沢を言うな。これでもマシな方だぞ。廃疾程度なら、そんなもんだ」
 問答に意味はないと、エスは配給所を後にした。
 この街は、すえた臭いがする。
 絶望と諦観を臭いだ。ここに居る奴らは、大概、下層域の産まれで、ここで死に絶える連中だ。上の連中がやりたがらない汚れ仕事に従事し、その犠牲になる。
 ご多分に漏れずエスも、有害廃棄物の処理場で働いていたが、重い関節痛で休職中である。収入は職場からは支給されず、国からの僅かな疾病手当のみ。必然的に困窮し、食料は配給所頼りであった。
 メインストリートを抜けて、個人商店と住居が混然とした地域に入り、横丁を抜けると、旧労働者住宅に入っていった。三階建ての三階の東側の角部屋がエスの根城だった。
 薄暗い室内を抜けて、ベランダの椅子に腰かける。これだけでも、相当に辛く脂汗で、ジャケットの内ポケットから煙草を一本だし、銜えて、一時の静穏を得る。
 紫煙が白い霧に吸い込まれ、その先に、何かが轟音をたてて墜落した。そこは旧廃棄物処理場で今は溝鼠の根城になっており、買い手もつかず、夜な夜なガキどもが嬌声をあげ花火なぞしている廃墟。
 これは大きな事故だが、下層域で即時出動する警察など存在しない。もしかすると、金目のものがあるかもしれない。
 帰宅したばかりで億劫だが、背に腹は代えられない。
 エスは煙草を灰皿に押し付けて、ため息まじりで『事故現場』に向かった。
 同じ目的の浅ましい下賤の民が徘徊するなか、瓦礫をかき分けていくと、そこにあったのは飛行車だった。それもT社製の最新モデル。
 まず下層域で飛行するはずのない”高級”品だ。 
 色めきだつ下賤の民が我先にと、雪崩れ込む。
 しかし、次の瞬間。護衛ロボットが十数名を一瞬にして、切断した。
「レーザーブレードか」
 掌から緑色の閃光が走り、一瞬にして肉塊に変えてしまった。護衛ロボットは右足に酷いダメージがあり、エスのようにぎこちない動きで、こちらへやってくる。恐怖のあまり身動きのとれないエスの目前で、停止した。
『お前は、唯一、犯罪歴がない。あの子を一時的に保護してくれ。当局から君の自宅を訪ねることになるだろうから、頼む』
 護衛ロボットはそう言い残して、機能を停止、膝をついて沈黙した。
「あの子?」
 エスは飛行車の後部座席に小さな樹脂でできたポッドを発見した。慎重に抱き上げ、スイッチを押すと、霞んでいた表面が透明になった。
 赤ん坊だ。男の子だ。おそらく生後すぐの。
 エスは下賤の民の残党を恐れ、とりあえず自宅に帰ることにした。

 物書きはハタと、目覚めた。
「夢だったのか」
 根を詰めて執筆に集中していたところ、眠りに堕ちてしまったのだ。明朗に思い出される夢の内容を反芻して、ひとつの結論に達した。
「ムードはある。しかしダークすぎる。これは受けない。ろくに動けもしない陰鬱な男なんて、人気も出ないだろう」
 それはそれとして、締切は明日。
 夢の余韻を振り切って、雑念を帯びた脳を引きずって執筆を再開させた。
 
 

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