侵食

 平然と、誰かのはらわたを貪っていた。
 異常に長い手足で相手を雁字搦めにして、鋭い爪で皮膚を突き破り、赤い血肉に食い込ませた。
 声も、動きもなくし、物体に成り下がった『誰か』を打ち捨てて床を這いずり回る。次の標的を求めて、鋭い猛獣のような歯から肉片が落下し、緩慢なスピードで階段を上がっていく。
 団地か、古いマンションだろうか。鈍い、昼下がりの陽光が通路を照らしている。
 妙な居心地の悪い静寂を切り裂くように、ある部屋のドアをこじ開けた。台所を抜けて、和室に辿り着くと、小学校低学年くらいの少女が一人で机にむかって勉強をしていた。
 少女はその気配に気づいて振り返ると、叫ぶこともなく、四つん這いの彼を見てほほ笑んだ。しかし、確かに震えている。敵意を隠し、なんとか見逃してもらおうとしているのだ。
 彼はそう思い、ならばむしろ、頭から呑み込んでバリバリと咀嚼してやろうかと悪妄想した。
 しかし、時間がやってきて、彼は、その時点でデータをセーブした。
 ヘッドマウントディスプレイを外すと、六畳の見慣れた洋室に戻ってきた。ゲーミングPCをシャットダウンし、部屋をでると、バスルーム横の洗面台で顔を洗った。眼前の鏡にうつる顔は、目の下にうすい隈、無精ひげもあり、妙にやつれて、陰気に見えた。いや、陰気だった。
「飯でも買いにいくか」
 上下グレーのスウェットに、黒のニット帽、サンダルというラフな格好で自宅アパートをでると、夕間暮れの空が地面を赤く照らしていた。
 住宅街からシャッターが目立つ商店街にやって来た。その中の、贔屓にしている店が目に入った。
 それはよく言えば地元密着型、今にも潰れそうな小規模のスーパーに入ると、牛乳とコーンフレーク、バナナ、納豆、2リットルの水をカゴにいれてレジまで最短でやってきた。
 店員はこの世の全ての不幸を背負い、達観したような仏頂面で、値段を告げるだけのカラクリ人形だった。そもそも愛嬌なんて求めない彼は気にせず、商品の入ったビニール袋を受け取ると店を後にした。
 黴の生えた被害妄想を迸らせながら、女子高生の一団の横をすり抜けて、   
 物書きは我に返った。
 化け物になり、ひたすら人を食い殺すゲームをやっていた、おそらく無職で、碌にヒトと関わらず、希薄な人間関係で、モラトリアムすら許されぬ困窮が視界にはいっていそうな、陰気な男を書いて、どう話を紡ぐつもりだったのか。無計画にもほどがあると自戒してもなお失敗を繰り返す無能さに、自分自身に辟易し、それでも同じ轍を踏む。それは既に恐竜のアバラのような轍となって、物書きを汚泥の蟻地獄に引きずり込んでいた。
 その無間地獄を私小説にするほど開き直ることはできず、益々深みにはまっていきそうな予感は、最早、確かな実感を帯びている現実に失望していた。しかし、根が諦観するほど利口にできていない物書きは、この話にどうピリオドをつけようか思考を巡らす。とはいえ錆びて歯車がかみ合い動くことなく、今にも膝をつきそうな体たらくは、いつものことであった。
 そんなところで、あの、陰気な主人公が侵食する。
 どうしようもない現実からヴァーチャル・リアリティに逃避し、じりじり迫る転落という現実を忌避する姿は、物書きの分身だろうか。暴力衝動を抑え込んでいる、ということなのか。
 物書きは小さく叫んだ。
 それは、空虚な虚勢だった。
 

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