都合の良い女

 ヒロシはどうしようもない男だった。今年で30歳になるというのに、アルバイトを転々とする生活。うだつの上がらない人生にため息を吐きながらも、休みともなれば一日中パチンコ漬け、安酒で悪酔いするだけだった。
「はぁーあ、2万すっちまったな。しばらく一日一食だぞこれ」
 パチンコ店からでてきたヒロシは、うなだれながらも煙草に火をつけて歩き出す。夕闇の駅前商店街をしばらく行くと、ビルとビルの隙間、細い裏路地に目線がいった。飲食店のゴミ箱や、空調の室外機があるなかで、場違いの壺があった。
 「なんだ、、?」
 ヒロシは気になり、その茶色い壺を拾い上げると周辺に目を配り持ち帰った。ワンルームの自宅アパートに到着すると、ベッドの前のテーブルに壺を置いた。何かに誘われるように壺を擦ると、真っ青な肌をしたスキンヘッドの男が煙とともに出現した。
「呼んだか。なんとなく分かっていると思うが、願いを一つ言え。なんでも叶えてやろう」
 ヒロシは現実感の無い現象に面をくらいながらも、回らない頭を無理矢理まわして答えた。
「じゃあ、都合の良い女が欲しいな、女日照りでたまってるんだ」
「そんなことでいいのか」
 魔人はそう言って、ヒロシの頭に手をかざす。
「これで、次に話しかけた女はお前に都合の良い女になる。じゃあな」
「ちょっと、、」
 魔人は壺に吸い込まれるように戻っていった。
「マジかよ、、いや、、え?」
 事態を呑み込めないなか、物は試しと家を飛び出すと、駅前の繁華街へむかった。しばらく物色していると、ヒロシ好みの女性が通りがかる。
 年のころは20代前半。黒髪のロングヘアで、目鼻立ちがはっきりした中々の美人。やや肉付きの良い体もヒロシの欲望を刺激した。
「ちょっと、お話イイですか」
 普段なら無視されるところだが、黒髪の女性は振り返った。
「いいですよ、なんでしょう」
「とりあえず、ファミレスでも行こうか」
「はい」黒髪の女性は笑顔でそう答え、あっさりとヒロシについて行く。
 貿易会社に就職したばかりの23歳、カオリと名乗った。ヒロシの下世話な話にも怯まず、笑顔で話を合わせ、自慢話にも「そうなんですね」と愛嬌よく答えた。
 安いテーブルワインが少し入ったところで、ヒロシは切り出した。
「家、来ない?」
「もちろん」
 あっさりとした承諾に驚きながらも、ヒロシは終始にやけながら会計を済ませ、カオリの手を引いた。
 
 翌朝。自宅アパートで、ヒロシは半裸で目覚めた。台所から野菜を切る子気味よい音が聞こえる。みそ汁の香りが鼻孔を掠める。
「もうすぐ、出来ますから待っててください」
 卵とほうれん草の炒めもの、豆腐の味噌汁。簡単なメニューだが、普段、朝食を食べないヒロシにとって、手料理というだけで特別なものだった。
 カオリは手早く食事と皿洗いを済ませると、仕事に行くと言って出て行った。台所のテーブルには手作りのお弁当まで置いてあった。
「出来過ぎだろ、いや、都合良すぎだろう」
 ヒロシはそう言いながら、バイトに行くため、洗髪を済ませて家をでる。
 それからというもの、ヒロシの生活ガラリと変わった。毎日のように会ってはひたすら話した。お金がないと言えば、食事に行って奢ってもらい、体を求めても快く応じてくれ、まさに夢見心地だった。
 1カ月が過ぎたある夜、ベッドの上でヒロシは思いに耽っていた。
「なんだかなぁ。カオリは本当に俺のことが好きなのか。あの青い化け物の魔法で尽くしてくれているだけか」
 カオリの、あまりに献身的かつ従順な態度に、ヒロシはいくらかの申し訳なさを感じ始めていた。

 日曜日。いつものように大量の食材を、両手いっぱいにしてやって来たカオリ。手際よく下ごしらえを始めるが、顔は赤く、時折咳き込んでいる。
「どうした。熱でもあるのか」
「大丈夫。ちょっと熱っぽいだけだから」
 すべての調理を終えて、タッパーや冷凍用保存容器に小分けにして、冷蔵庫にしまったところでその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫じゃないな、ちょっと、寝てなよ」
 ヒロシはそう言うと、カオリをベッドに寝かせて家をでる。近所のドラッグストアで風邪薬や栄養剤、レトルトの御粥を買ってきた。
 しかし、カオリの姿はなくテーブルに買ってきた品物を置いて家を飛び出す。アテなどなかったが、直感に従い、よく通っているスーパーマーケットに向かった。案の定、カオリの姿があった。
 肩で息をして、買い物かごに野菜や豚のバラ肉のパックなどを入れていく。ヒロシは駆けよると、カオリの肩を掴んだ。
「何やってるんだよ。寝てなきゃダメじゃないか」
「でも、、、貴方の為に、晩御飯つくりたいから」
「なんでそこまでするんだよ。俺の為に」
「よく分からないけど、貴方のことしか考えられなくて、体が勝手に動いちゃうの、、、」
「そうか、、でも、帰ろう」
 ヒロシは会計を済ませ、カオリの身体を支えながら家に帰った。ベッドに寝かせても「役に立てなくてごめんなさい」と掠れた声で、ヒロシに気を遣っていた。
「寝てていいからさ」
 ヒロシはそう言うと、茶色の壺を手に外へ出ると、焦りながらも擦った。
青い肌でスキンヘッドの魔人が、煙とともに現れた。
「何か用か。もう願いは訊けないぞ」
「お願いだ。魔法を解いてくれ」
「いいのか。彼女が都合の良い女でなくなるぞ」
「構わない。このままじゃ、カオリは俺の為に死んでしまいそうだ」
「分かった。私をカオリの前に連れていけ」
 ヒロシは魔人を連れていくと、手をかざした。
「これでいい。擦っても、もう私は出てこないからな」
 魔人はそう言って壺に戻っていった。
 カオリは大人しく眠りについた。
 ヒロシはその寝姿を見て思った。目覚めたら、関係は終わってしまうのかと。寂しいが、そもそも自分のようないい年をしたフリーターなんて、もともと相手にされない。これは魔法だったのだ。そう諦めることにした。

 翌朝。二人は向かいあっていた。
「俺でいいのか? 金もないし、だらしないし、学歴もないし」
「それって問題なの?」
 あまりにもカオリの瞳は真っすぐだった。ヒロシはたまらず抱きしめる。伝わる温もりと息遣いに、どうしようもなく涙が溢れでる。
 ふと窓の外を見ると、青い肌でスキンヘッドの魔人の姿があった。一瞬、口元が笑ったかと思うと、煙になって、風に消えていった。

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