その時、私は(12)「セカンド」

「地球に人類より上位の知的生命体が存在し、自身がセカンドだったら」
 その時、私は絶望すら知らず、ひたすらファーストに従い生きていくことだろう。知能はもちろんのこと、身体能力も太刀打ちできない。現代でいえば発展途上国のスラムで暮らすような、簡単な計算や読み書きもできない層に仕事がないことと同じような差。いや、そういった人々も環境が変われば希望はある。しかし、根本的に段違いなため、努力の問題ではない。とすれば、やはり、付き従うしかないだろう。
 当然ながら人権は軽んじられる。尊重してくれるファーストや、「セカンドにも人権を」と活動してくれるファーストもいるかもしれない。だがそれは、憐れみからであって同等というわけではない。あくまで人間が野生動物を保護するような感覚に近い。絶対的な隔絶が両者には存在する。
 状況が変わるとしたら、セカンドの遺伝子を改変し教育をすることで、ファーストに進化させる国際的な取り決めがなされ、その移行がすすめば希望はあるかもしれない。とはいえ、それはファーストにとってライバルを自ら増やし、国や企業や地域において競争がはじまり、脱落者が生まれるということ。そのため、実施されるとしたら特別に見込みの或る「個体」に限られることだろう。それは非常に狭き門であり、感覚的には東大理Ⅲに合格するくらいか、プロ野球選手になるくらいか。
 その時、私はとりあえず目指しはする。不適格の通知は残酷に冷淡にやってくる。希望は絶望の種だ。いつしかファーストを目指すやる気も薄れ、また、従って生きるだけかもしれない。

 本当に地球に知的生命体が人類だけでよかったと思う。親ガチャや国ガチャなんて比ではない。その隔絶を、人間以外の生物は意識することすら出来ず、人間の支配下にある地球に生きている。
 動物愛護を意識することはあまりないが、敬意をもって過ごすのは有意義だし、彼らから受ける恩恵が当たり前でないということを心に刻もう。
 なんてね。清廉潔白じゃ息苦しい。そんな自分の醜さを再確認した。
 

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