GWとBLゲームと私

私は長年の腐女子だ。
というより、「女子」というにはいささか気恥ずかしく、おこがましく感じる年齢のため、「貴腐人」の方がより正しい。10代なかばでオタク文化を知り、私の居場所はここだとハマりにハマって、やりたいことは一通りチャレンジした。
同人誌を作ってのサークル活動、レイヤー、中堅サークルさまの東京方面売り子、オフ会参加、個人サイトの制作と運営、プチオンリーの軽いお手伝い、等々。商業BL漫画や小説・ゲームを買い漁り、池袋に足繁く通い、あるいは少年漫画と乙女ゲームに夢中になり、妄想を膨らませては存分に楽しんでいた。当時は残業も多く、よくそんな暇があったなと改めて自分で自分に驚くが、逆にいえば灰色になりがちな日常を趣味で虹色に変えていたのだと思う。
しかし、色々と出来事が重なり、心身がよわってしまったことと、よる年波には勝てず、だんだんオタ活から遠ざかってしまった。同人誌を出さなくても日々なにかしら書き連ねていた創作が途絶えがちになって、イベントに足を運ぶこともなくなって、読書やゲームすらも無心になれず、休日は寝て過ごすことが多くなった。昔ほどとは言わないが、もう少し充実した時間を過ごしたいと、特に休みの前の夜には意気込むのだが、結局、なにをするでもなくダラダラと寝たり起きたりで終わる。その繰り返しだ。たまに気になる方々の配信やアーカイブを拝見するくらいで、かつての勢いと熱は、もうない。

私も衰えてしまったのだな、などとつい最近までは、自嘲気味に嘯いていた。疲れているから、歳をとったから、いつも理由のない不安で落ち着かないから、もうどうにもならないのだと自分を諦めていた。すべてを加齢のせいにしていた。仕方ないじゃないか、と。弾けるほど若くはないのだから、と。

そうやって、自らを騙し騙し、宥めつつ暮らしてきたが、ふと、先月の終わりに「このままでいいのか?」と心がざわつきだした。いきなり我に返った。私の祖母は六十歳でハワイに行ったり書道をはじめたりと、活発に生き、私もそうありたいと常々思っていたではないか。元々、好きなことが多いのだから、自分だって老年まで趣味を続けようと誓っていたではないか。たとえそれが、オタクのあれこれでもいい。誰もやめろとは言っていない。家族も知っているが、口をだしてはこない。ただ自分が、勝手に放り出しているだけだ。限界の線引きをしただけだ。明日のことを思いわずらうより、今日を大事にしなければいけないのではないだろうか。私の奥に住んでいる、10代の私が叫んでいる気がした。

そこで、私はなにを血迷ったか、発作的にBLゲームを4本、ダウンロード購入していた。以前プレイ済みのものが3本、未プレイが1本。最近のものではなく、懐かしさもあって古めの作品ばかり。それでよかった。十分だった。目新しいものも魅力的だったが、それ以上にやりたかったことは、10年前の自分を呼び起こすことだったのだ。

かくして、去年購入したものの、ほぼまっさらに近かったPCに、ゲームアイコンが並んだ。ワクワクした。これをGWに好きなだけ遊ぼう、とディスプレイを眺めては、祝日が待ち遠しくなった。連休前で仕事は立て込んでいたが、「うちのPCには、BLゲームが入っているんだぞ」なんて訳の分からない誇らしさを感じ、どうにか乗り切れた。我ながら単純だな、と呆れつつも、間違いなく今の私には必要だったのだろう。休み中、家でできて、刺激があって、時を忘れてやり込んだもの。己にできる、精一杯の喝入れが、またまたBLゲームという形になったのかもしれない。

そして念願の5月。
私は5日間、ひたすらゲームに没頭した。テキストを読み進めるのが、やや苦手になっていたため、途中途中で休憩し、紅茶と珈琲とほうじ茶を気分によって飲みながら、予想よりはるかにGWをエンジョイした。楽しかった。嬉しかった。やっぱり腐女子(貴腐人)はやめられないと思った。
このゲームを買い漁った池袋に、今度行こう。お気に入りがあったら、グッズも買おう。どうしても推しの缶バッジが出なくて、ガチャガチャを回した、あの日。中古の同人誌を探しに出かけた、あの店。並んで入った、あのコラボカフェ。みんなみんな、思い出が残っている。記憶は色褪せていない。嫌いになったとか、飽きたとか、そんな理由で私はこの世界から離れたのではないのだ。傍からみたら滑稽であっても、やはり好きなのだ。愛おしいのだ。心と体の休養もあって、しばし距離を置いていたけれど、BLゲームが教えてくれた。「いつでも、戻ってきていいんだよ」と。

なんだかんだあり、まだ遠出は無理そうであるし、カフェやイベントやオフ会は、己の年齢を考えてしまって、簡単に出かけてはいけないだろう。若い人に気後れしてしまうだろう。
でも、GWの経験が、私なりに、無気力になりがちだった生活を、ほんのわずか、改善されてくれるのではないかと期待している。心境の変化を促してくれると信じている。
もうちょっと、あとちょっと、ここにいさせて欲しい。そう願う間は。その気持ちが消えるまでは、私はオタクでいたいのだ。

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