推しは自分を救う
私は昔、自作パソコンを組み上げたことがある。
今はどうか分からないが、当時はお店にけっこうな広さのパーツ売り場があり、客も多く、「パソコンの作り方」というようなタイトルの本も何種類かあった。
その頃、女性がパーツ売場であれこれ物色しているのが珍しかったのか、「○○と□□は、互換性は問題ないけど相性が悪いよ」と教えてくれる男性がいたり、「グラボなら、このくらいのスペックは欲しいところですね」とわざわざ声をかけてくれる店員さんがいた。そこは、まるで宝箱のなかのように、欲しい部品でいっぱいで、私は数件、店をわたりあるいては、アドバイスをもらっていた。
馬鹿だと思うが、私は、テキストに書いてあるようなパーツは、ひとつも使わなかった。Inte○が主流なのにA○DのCPUを選んだり、IB○のマザーボードではなくGIGABYT○のマザーボードを買ったり。名前が好きだな、という理由でHDDを決めたり。
同僚に自作パソコンを何台も作った人がいたが、「初心者が作るパーツじゃねぇよ」と冗談交じりで笑われたくらい、私のチョイスは一般的ではなかった。当然ながら、市販の書籍はまったく参考にならなかった。せいぜい、どう組むかくらいな説明が役立った程度だ。
そしてある夜、私はパソコンの組み立てに取り掛かった。たしか十時くらいだったと思う。軽く考えていたので、まあ、二時間あれば余裕だろうと、高を括っていた。
帯電体質なので、いらぬ心配かもしれないがと、ほぼ全裸になった。折角の部品が静電気でダメになるのが怖かったからだが、傍から見れば滑稽な姿だっただろう。いたって真面目に、真剣に、私は作業に没頭した。
が、そううまく事は運ばない。グリスが綺麗に塗れない。マザーボードの説明書がすべて英語で読めない。メモリがしっかりはまらない。配線がどんどんぐちゃぐちゃになって、どれがどれだか分からない。
気がつけば夜零時を過ぎたのに、いっこうに組み上がらず、二時、三時と時間だけが過ぎていく。私は全裸で、パーツに影響がでぬよう端っこに行って泣きはじめた。なにが悪いのかと、壁にちいさく八つ当たりをした。自分ではじめたくせに、自分に負けていた。誰から見ても不審者だ。
夜が開ける頃、ようやく完成したパソコンに、歓喜するよりも疲労が強く、でもまあやっと形になったのだから、とOSを起動させたら、今度は何度もシャットダウンしてはログインする。一歩も先に進まない。さすがに精根尽き果て、昼に同僚に、これこれこういう症状が出てるんだけど、どうしようと、涙声で尋ねてみたら「ああ、熱暴走だわ、それ」と言われ、ファンの付け替えであっさり解決した。恥ずかしくて、情けなくて、それでも楽しいパソコン制作だった。
さて、なぜ長々と、こんなことを書いているかというと、私がそもそも、自作パソコンが作れた理由が、推しというには申し訳ない気がする、平沢進の存在があったからだ。
自作パソコンを作るさらに前、私は初めてローンを組んでパソコンを買った。まだ駆け出しの、ひよっこ時代だ。平沢がパソコンでなにかやっている、と聞いた私は、これは自分も手に入れなければならない、と意気込んだ。志だけは高かった。
しかし、当時の主流はワープロで、パソコンを持っているのは、だいたい専門や技術の方々だった。先輩のひとりからは、「パソコンなんか買っても、使いこなせないだろ。特になにかできる訳でもないし。ワープロのが安い。無駄金を使うな」と言われたりもした。それは、時代の問題なので、正しい意見ではあった。
けれど、私はパソコンが諦めきれず、ちんぷんかんぷんなパソコン雑誌を買い、職場の詳しい方に、「お昼のお弁当を奢るから、ここに何が書いてあるか教えて欲しい」と図々しくもレクチャーして頂いた。WindowsとAppleがなにかも知らない状態で。パソコンを持ってる方は、皆、苦笑いしつつも、WindowsとAppleは、まったく違うし、同列に扱うものでもない、と教えてくれた。
ひとしきり、解説してもらった私は、秋葉原にパソコンを購入しに行った。かつては、パソコン本体・ディスプレイ・音を出すサウンドボード・日本語や計算などのためのソフト、それぞれ別々に必要だった。総額にして約七十万。新人に毛が生えたような私には、高額だったが、五年ローンを組み、五年は使い続けようと心に誓った。
メーカー品の、しっかりしたものだが、それでもよくトラブルを起こした。まず音を出すためにサウンドボードを取りつけなくてはいけないし、BIOSをいじって認識させなければならない。モデムも差し込むし、ポートの設定もある。
そのたび、私はパソコンのケースを開け、ああでもないこうでもない、と頭をひねった。もう本当に無理、となったら、大きなカバンにパソコンを詰め、サポートセンターまで運んだこともある。
結果として、私は日常的に、パソコン内部に触れることになり、なにがどこに刺さっているか、どこを修正すれば不具合の解消となるのか、嫌でも覚えることになった。自作でパソコンも作れるくらいには詳しくなったのだ。大ファンの平沢進に、置いていかれたくない、せめて少し後ろを走りたい、と。ただただ、その一心で。
私が新しいことにチャレンジするとき、そこにはだいたい平沢進がいる。なにをすればいいのだ、と迷いながらも、食らいつこうといつも必死だ。
きっと推しがいる方々も、なにかしら経験があるのではないだろうか。推しがいるからライブや演劇やコラボカフェに行く。推しが言うから試してみる。推しのためにと遠出する。推し縁の地を訪れる。なんだっていい、ちょっとした勇気を、推しかもらって、あまりしないことも出来てしまう。頑張れる。
推しは自分を救う。
それは、幸せで面白くて、ほんの少し自分を強くしてくれるスパイスなのかもしれない。