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(短い小説)有言実行バスタブ

夜、二十五時。残業から帰る。唐揚げを二三個つまんでビールで流し込む。朝食の残りの白飯を掻き込んで夕食。
薄暗い明かりが照らすのは散らかった服の山や出し忘れたゴミ袋。
乱雑としていながら殺風景。蛍光灯は室内の四十一歳の男をモノクロに照らす。
今日、いや昨日というべきだろうか、私は十四時間労働を達成した。
労働基準法とは架空の法律だったのだろうか。
無論十四時間連続で集中力は持続しない。最後はほとんど無意識にマニュアル化されたデスク作業をこなして時間を食いつぶすような内容だったのだが、過労と睡眠不足は判断力と思考を奪い、私だけでなく社内では徐々に作業ミスが頻発していき、みんなでその尻拭いに追われるといった状態であった。作業は遅々として進まず、時計の針はゆっくりだが着実に進んでいく。毎日十九時頃に退社する上司の男曰く、全ては仕事への構えと忍耐力の不足、ということらしい。

「お風呂が、沸きました。」電子音声が響く。
のそのそと足の置き場のない部屋を移動し、着替えをとって脱衣所へ向かう。衣類を洗濯機へ脱ぎ捨て、風呂場のドアを開ける。
電気のスイッチを押す。二つある電灯のうち一つがつかない。故障か。はあ。いちいちこんなことにかまっている精神的余裕は持ち合わせていない。薄暗いけど我慢しよう。
ドアを閉じてバスタブの蓋を取る。
かけ湯をするのが作法なのだが、前述の通り、精神的余裕はない。
足先を湯につけた。

瞬間、痛みに似た感覚が体を駆け上る。思わず体がのけぞり足を引っこ抜いて後ろへ倒れる。
「熱っ!」
とても熱い。風呂場の電光表示を見ると四十度と表示がある。そんな馬鹿な。
もう一度。今度は手を湯船に浸す。
やはり熱い。四十度など到底信じられない。
だがやけどするほどの熱湯ではない。
我慢すれば入れそうだ。

「ここでも忍耐か。」私に安らぐ時間はないらしい。笑えてくる。あとから考えれば冷水を加えれば済んだ話なのだが、これも精神的余裕のなさか、苦役が慣習化したため頭がおかしくなっていたのだろう。
「いいだろう面白い。忍耐が足りてないって言うんだろう?よし、頭まで浸かるまで絶対に上がらない。」
私は風呂に向かって宣戦布告をしていた。今考えると、恥ずかしくってしょうがねえ。酒を飲んでたからそのせいにしよう。

足から入ってを滑り込ませるように腰まで浸かる。ゆっくり、ゆっくりと。足を曲げて膝立ちになっている体勢だ。水中にある部分の皮膚がじんじんと叩かれたあとのように痛い。次第にかゆみに似た感覚が襲ってくる。が、忍耐。
足を伸ばして上半身をバスタブに入れるため膝を上げ、、、ようとしたのだが、なにかにつっかえて私の体は尻もちをつくように後ろに倒れてザブンと背中まで湯船に浸かる。「あっつぅ‼‼」思わず声を上げ体をあげようとするとまた何かにつっかえた。上半身が突然の温度変化に対応しきれず緊張し鳥肌が立つ。

なにかおかしい。さっきから体がなにかに引っかかる。
バスタブになにかあるのだろうか思い立った瞬間、「バチン。」と音を立てて残り一つの電灯は光らなくなった。

「え?真っ暗。」

テンパって上がろうとするのだが、体が引っかかって上に上がらない。
「なんだコレ、どういうことだ?」
バスタブの中で手足をバタつかせようとするのだが、微動だにしない。
どれだけ力を込めても全く。
しばらく格闘したのち、力尽きて落ち着いた。手をゆっくりと動かす。真横にスライドするように動かす。そこより上はお湯が固まったように動かなくなる。下には、動いた。、、、、、が元の位置に戻せない。

「成、、、、程。」どうやら体が上方向に動かなくなっている。前後左右。もしくは下にしか動かせない。ただし下に沈めたら沈めた位置から上には動かせない。
唯一湯船から出ている頭は自由に動かせるみたいだ。
新手の金縛りだろうか。
なんにせよ、どうやらこのバスタブから出られなくなってしまったようだ。

「バスタブから出られない。」「意識ははっきりしている。けれど、、、体がのぼせて頭がぼやぼやしてきた。」「このまま湯船から出られなかったら、俺、死ぬ、、、?」
「え、、これやばいんじゃないか。死ぬ?」
こめかみに玉露が浮かぶ。冷や汗。顔面の輪郭を伝って、、、顎から滴り落ちる。
「ポチャン。」

「「「たし湯おお行いまsu..」」」「「「湯船に熱いおッッ湯がなgggがれまss。ご注意くださぁ、、、っい。」」」
「え、、、、、、??」風呂の自動電子音声が前触れなく鳴る。それも聞くにおぞましい声で。何人かの男女を無理やり合成したような音だった。

きゅるるるるるるるるるる!!!
「!?」
暗闇の中で音がする。これは、、、、「蛇口をひねる音。」
風呂の蛇口がひとりでに高速で回っている!!
るるるるるるるるるるるるるうるうる、、、、、きゅるる、、きゅっ。
「止まった。」

一瞬蛇口が震えるような音がした後、大きな水音。
足に水圧を感じる。
「、、、、、、、、、たし湯。」

まずい。まずいこれは。湯がたされていったら、湯は冷めることなく、バスタブから出られなかったら、、、私は本当にのぼせて脱水で死んでしまう。
危機感と生存本能がアルコールを吹き飛ばす。
私は外からの救助を思いついた。
「誰かーーーーーー!!誰か助けてくれーーー!!誰かーーー!!」

夜。二十五時。いや、もう一時間は経っただろうか。四十一歳独身の男の部屋には誰もやってくる気配はない。
ひとしきり叫んでから、疲れとともに口を閉じる。浴室にはお湯が注がれる音以外なにもない。いつの間にやら顎まで水位が、、、、、あ? 顎?

ここに来てさらに恐ろしいことに気づく。
この調子でお湯が足されていったら、、、のぼせて気絶、、、、、違う。
違う。その前に、、、頭がすべて水に浸かる。
それはすなわち、、、、口も鼻も水にさらされる。

「溺死。」

水位と連動して恐怖がこみ上げてきた。なんだコレ、、、。
死ぬのか!?嫌だ!!死ぬのは嫌だ!!
「止まれ!!」「おい!!何なんだよこれ!!たし湯なんて押してっ、、ねえよ!!!」「ふぜっ、ふざけんな!!おい、誰か止めろよ!!」
「なんっ何だこれはぁ!!!」

水音が聞こえないように大声で罵声を放つ。恐怖で頭がどうにかなりそうだった。なんでこんな目に合わなくちゃならない。冗談じゃねえ。
大声でわめき続けるうちに水位が上がる。
「がっ!!あぐ、ゲホッ!!ゲホゲホッ!」
口内に湯が入ってきてむせる。
「ぐぞぉーーーぁんだこれえあ!!」

「「「あははっhhhっははっはっはあっはっはっはっっはっはははっは!」」」
電子音声が気味の悪い嗤い声を上げた。
「「「しゃわー。」」」
「ザザッ、、ザァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
やけどするような熱湯が顔にかかった。シャワーだ。
「あぶっ、、うあう」
目が開けられない、呼吸が妨げられる、駄目だ、死ぬ、くそ

鼻まで水位が上がった。酸素を失った体は思考能力を失い体をよじって暴れようとする。しかしバスタブに波さえたてられない。
「んんんんーーーーーーーーー」
声にならない声を上げながら唯一湯の外にある目を薄く開く。
シャワーが止まった。
「んんんんんーーーーーーっ」
視線の先、風呂場の電光表示、
くそ、死ぬ
「ん、ぐっ、、、ゴボッ」
電光表示、砂嵐のようになっている、
視界がぼやける、いしきがうすれていくなかで、ひょうじされたひとつのたんごをよみとった。

「「「忍耐(笑)」」」


左頬が冷たい。まぶたを開くとそこには神獣麒麟の絵。
ビール缶から泡と黄色い液体が溢れている。
勢いよく体を起こした。
「あえ、、、?」
どうやらビール缶片手に唐揚げに顔を突っ込んで眠っていた、、、ようだ。
「寝てた、のか、、、、、、、、、、、、、っ!遅刻!!!!」
時計を確認する。二十五時。帰ったときと同じ時間だ。まさか二十四時間まるまる寝ることはないだろう。
安堵ともに起床後三秒で仕事の心配をする自分に嫌気が差す。ここまで仕事に取り憑かれているのか、、、。

半ば呆れながらこぼしたビールと唐揚げ味の顔面を拭く。
そういえば体がひどく汗ばんでいる。たしか夢を見ていたのだが、悪夢だったのだろうか。
思い出せない。


「「「お風呂が、沸きました。」」」
ちょうど風呂が溜まったみたいだ。


おしまい。




あとがき
こないだ父方の祖父母の家に止まっていたのですが、そこの風呂が驚くほど熱かったのでこのお話を思いつきました。
お風呂って怖いですよね。
誤字とかあったら、てか多分あると思うので、見つけたらコメントしてください。直します。

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