存在する駅


駅がなくなっていた。どこにもない。
駅がないということはどこへもいけないということか。

ああああなんと。駅がない。
そこにいた星みたいな人に声をかける。

「駅はなくなってしまったのですか?」
「えきなんてものは最初からなかったでしょう」
「駅ですよ?舞う、とか、食う、とか、笑うとかたくさんあったじゃないですか」
「それは動詞だよ、えきとは言わないよ」
「えぇ。動詞じゃないですよ。駅の名前です。寝るとか踊るもあります」
「私の知る限りでは駅ではなく動詞というものだよ」

何度か同じような質問と回答を繰り返す。
駅がないという事実を共有することもかなわず、
星みたいな人とはかつて駅前だった場所で別れた。

さて、駅がないという事実は今現在私にとっては確かなものだ。
駅はどこに。
舞う、食う、笑う、寝る、踊る。

私の好きな駅は降るだった。
ふる、と口にするとき口が丸くなるのがかわいくて好きだった。
駅前には桜の木が植えられていて、
ふる、と口にするときと同じように丸っこく不確かで無防備な軌道で降る花びらがとても綺麗だった。

あの駅ももう存在しないのだろうか。
駅、駅、駅、駅からどこへだって行った。
私がかつて駅と呼んでいたものは動詞というらしい。

動詞、動詞、動詞、動く言葉。駅は動く。
ふる、まう、わらうと口にするたび動くじゃないか。

星みたいな人が引き返してくるのが見えた。
「いやあ、思い出したんですよ、えきってあれの事だったかなと」
その人は手を12時の高さにあげて、ある塔を差す。
そびえたつ、東京スカイツリーを。
「いや、あれは東京スカイツリーですよ。駅じゃないですよ」
「スカイツリー?あれは駅だと聞きました」
「駅って一体、何駅なんですか」
「孤独です」
「孤独?そんな駅は聞いたことがないです」
「でも確かに駅ですよ」
「駅ですか?」
「駅ですよ。名詞は駅になりうると聞いたことがあります」

「私は行ったことがないけれど、あれはきっと駅です」
そういって星みたいな人は今度こそ去った。

孤独、と呼ばれた駅は私にとってはなじみの深い塔だった。
白くて骨太で展望台は宇宙船みたいで格好いい。
私は東京スカイツリーが大好きなのだ。だからこの駅に住んだのだ。

孤独だなんて誰がつけたのだろう。
あれは駅ではなかったのに。東京スカイツリーという名の塔であったのに。

孤独になんかしないのに。

私の足は自然とスカイツリーへ向かっていた。
駅とは何なのか確かめなければならない。

孤独、に到着する。
そこにはまばらに人がいる。
でもおかしい。駅というならば電車が来るはずだ。
孤独には電車がやってこない。線路もない。
当然だ、ここは東京スカイツリーなのだから。
やっぱり駅ではないではないか。

その時、
「ここはコドク、コドクです。乗り遅れの内容にご注意ください」
聞きなじみのあるアナウンスが響く。

やっぱり駅なのか。

だが、まばらにいた人たちはアナウンスを聞いても動かない。
どこにも向かわないのだ。

やっぱり駅ではないじゃないか。
ここからはどこへもいけない。

ああああ駅がない。
駅、駅、駅。
降る、舞う、洗う、踊る、撮る、創る。
何にもなくなってしまった。

「お客様、お困りですか?」11時の方向から声がする。
今度はアクリル板のような、駅員らしき人が話しかけてくる。
「駅がないんです」
「ここは駅ですよ」
「駅じゃないでしょう」
「ここは駅ですよ」
「だって電車が来ないじゃありませんか」
「電車なんてありません」
「電車がないなら駅じゃない」
「ここは駅ですよ。電車がなくたって。孤独、誰もが持ちうる名詞ですもの」
「駅は降る、舞う、洗う、踊る、撮る、創る……」
「お客さま、それは動詞です。駅ではありません。駅は孤独、喜び、怒り、椅子、刺繍、稲妻……」
「それは名詞じゃないですか」
「ええ、誰もが持ちうる名詞が駅です。動詞は駅ではありません」
アクリル板のような人は続ける。
「お客様は電車に乗ってどちらに行きたいんですか?」
「どこって駅ですよ」
「えぇどちらの駅に?」

電車に乗る私を思い浮かべる。
時刻通りに運ばれる人々。曇る窓ガラス。身動きの取れない空間で
触れられる身体。

私は

「どこへもいきたくない」

言ってしまった、と思うと同時に私は孤独の一部となった。
ここは駅。電車は来ない駅。
宇宙船みたいに格好いいがどこへもいけない。
いや、私たちはどこへも行かないのだ。

この駅からはどこへも行かなくていいのだ。

降る、舞う、洗う、踊る、撮る、創る……かつて駅だった動詞たち。
思えば行きたい駅などなかった。
いつかまた行きたくなるのだろうか。
ふる、と口を震わす感動を得られるのだろうか。

電車は来ない。孤独という駅が存在することだけが事実だった。
どこにへも行かなくていいとは、孤独とは、自由ということらしかった。
東京スカイツリーはかわいそうではなかった。
私にはその事実で十分であった。









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