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大学のゼミ活動

大学入学時のゼミは二年間、学籍番号を
基にした教授のクラスになりました。
その後の二年間は、別の教授になった
という話をします!


自己満足なR教授

初めの、R教授は「地方創生」や
「まちづくり」、
「フィールドワーク」を中心に
活動する方でした。

初めの一年間は、大学生としての
基礎知識を固める期間なので、
持ち前の、学習力を活かせる場
だったのですが、
だんだんと、ゼミ活動に意欲を
持てなくなってきました。

生真面目な自分としては、この活動を
したからといって、地方が活性化するわけ
でもなく、人口が減少した地域が復活する
わけでもないと思いました。

教授がどれほど、本気に取り組んでいたかは
分かりませんが、少なくとも、直感的に、
地域との交流、自分の研究のため、
表向きの講義だったように感じました。

本気で取り組もうとしている人は、
眼を見ると分かります。
言葉の言動、身振り手振り、表情を見てると
ひしひしと伝わります。
教授からは、何か毎年、毎回
のことで慣れ切っている状態でした。

一回だけ、フィールドワークにその地域に
生きましたが、最終的に、
蕎麦を食べて、ワイン工場を見て、
何をしたのかわからず、一日が終わりました。

教授は楽しいかもしれませんが、生徒は、
ゴマすりをする一部の生徒を除き、
みんな面倒くさそうに、嫌そうに活動をしていたのを
覚えています。
その活動の最初には、役所で学生との意見交換会
もしました。
話した結果、学生の支離滅裂の提案に、公務員の方が
講義だからと丸く受け流していました。

ここで、分かったことは、学生も教授も、公務員も
皆、本気に、真剣に、真面目に、
地域や、地方、日本のために、子供のために、
学術の研究をしていないということでした。
(真面目に研究している、学生、教授は、
 有名な他大学ではいます。)
(地方の大学はこのような場合が多いのでしょう。)

なんか、心底、大人や社会は適当に生きていることが
ひしひしと伝わってきました。
これが、大人かぁ と。

よく考えると、確かに、学生や民間団体が
活動することで、何かが解決するケースも
ありますが、
殆どは、大企業や、政府が予算や命令を出して、
初めて、地方が大きく変わることが多いように
見えます。

一学生、一、地方大学が何をできるというのか。
不思議でした。
活動をしているという状況そのものが、
大学教授にとって、研究材料の過程なのでしょう。
それに生徒が悪用されているようにしか
感じられません。

今も、覚えているが、
帰りに教授が、友人と私を車で駅まで
送迎してくれたのですが、
会話はほとんどなく、
友人に将来何をしたいか聞いただけでした。
「私に質問はないのかい!」と
芸人並みの突っ込みを瞬時に入れたいくらい
でした。(笑)
教授も、この子は面倒くさいと分かっていたのでしょう。
おかしいと思ったら、すぐに嚙みついてしまう
からです。

結局、最後の方の講義で、プレゼンテーションがありました。
学生は教授のどうでもよい、文句をぶつけられ、
発表することを委縮する生徒が殆どでした。
私を除いては。
機嫌が悪い時は、本当に態度に出ます。
教室に入った瞬間からため息をつき、
椅子にドンっと座ります。
そして、はい、はじめまーす!が合図です。

いくら、学籍番号を基にしたからといって、
あまりにも不運でした。
その結果、私を含め、複数の友人は別のゼミに
2年生以降から移動しました。

その場に残った学生はどんな思いだったのでしょうか。
Rゼミは、就職率が高いからとか、
コネがあるからとか、
そのような理由で残ったのでしょう。

私が子供の頃は、大学生は学士様など、
大学生は頭が良く、
社会や人のために学問を究め、
研究するすごい人たちと親から
教わっていました。
いつから、日本はこのような国になった
のでしょうか。
エレベーター式に、周りと同じ風に進路を
まねた結果がこのようなことになったのかも
しれません。
とりあえず、大学に進学した方がいい的な。

世界には、勉強がしたくてもできない人、
日本にも、勉強がしたくても、
お金がなくてできない人もいます。
そのような方たちが可哀そうすぎます。
置かれた環境の慣れとは怖いものですね。

置かれた環境が、当たり前とは思わず、
初心忘るべからず、
日本人には、子供の頃の思いを
思い出した方が、特効薬になる
ように
思えます。

残った彼らと、4年生の卒業論文の
発表で再会したのですが、
かなり洗脳されていた様子でした。
自分の意志とは別に、
卒業論文なのに、R教授の好きなタイトルばかり。
本当にひどい光景でした。

卒業論文の担当官はなんと、
R教授と、これから話す、T教授です。
運命とは怖いものですね。
ちなみに、私の論文は
「武士道」です。

一人だけ、浮いていましたね。
詳しくは、
別の記事で卒業論文については書きます。
楽しみにしててねー!

あ、そういえば、思いでしたのですが、
自分の本を売りつける教授はやばいですよね。
R教授はこのパターンです。(笑)恐。
(私は買わなかったです。買っても2年間、
 使いませんでした。(笑)
 買わせるだけ買わせたんですね。
 学生を何だと思っているのでしょうか!)

生徒に深くかかわらないT教授

T教授は、私の入学試験の面接官でした!
先生は覚えているか分かりませんが。

T教授は、飲み会や、フィールドワーク、
そのような活動は一切しません。
運動部の学生も多いからという表向きな意見で、
生徒とは深くかかわりません。
日々のゼミの講義に来て、
たまーにだされる課題を処理するばよいだけのことでした。
その方が、自分の研究に時間をかけられて、
楽なのでしょう。
嫌な考え方をしていますね。私は。(笑)

ですが、私は、嫌な教授だと思ったことはないです。
教授も今の学生の特徴を把握して、
深くかかわらないようにしていたのかもしれません。

面倒くさいのか、不寛容なのかは分かりませんが、
私のスタイルにはあっていました。
人にやれと言われて、やるのが一番嫌いなので。
自分がやりたいと思ったことを、とことんやるのが
私のスタイルです。
(世界には、やりたいことすら、産まれながらにできない
 人も大勢いることも、忘れずに過ごしましょう。
 そして、世間に出たら、そのような方たちのために、
 日々、小さいことでも努力していきましょう!
 やりたいことができるということは、普通のことではありません。
 私も、どれだけ、恵まれていることか。)

T教授の講義は、「労働」関係が殆どでした。
コロナ渦ということもあって、講義室に行ったり、
オンライン講義になったりと忙しかったですが、
講義はためになりました。

私のような、フリーランスで働く人も増えてきた昨今、
多様な労働スタイルが市場を占め始めている中で、
過去の労働のスタイルを理解し、
新しき発想を自身で生みだす。
すごく、2年間、勉強した甲斐がありました。

教授、まぁ、助教授ですが、
忙しいにもかかわらず、講義が終わると、
私が話しかけると雑談をしてくれました。
何気ない、世間話の雑談でも、
私はすごく嬉しかったです。

労働を研究されているからなのか、
私が周りと違う、フリーランスでブログの仕事を
したいと言ったら、
否定せずに、認め、論文の作業に取り掛かり始めました。

あの時期の私にとっては、不寛容か、興味がないのか、
分からなかった教授ですが、
あのようなスタイルの教授が、自分の未来の一歩目を歩む
のに適切でした。
前の記事でも言いましたが、
自分を認めてくれる人を大事にすることは
この時代、必要な気がします。

この後から、論文の作業に進みます。
今回の話はここまでです。
最後まで読んでくださった読者の皆様、
本当にありがとうございます。

これからも、楽しく、
社会や人のためになるような投稿を
続けたいと思います。
またね!

次回、卒業論文編!

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