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然様になった。

今日はお彼岸の中日でしたので、お墓参りに行って来ました。

私の父方の先祖は漁業を営み、戦前までそこに住んでいました。

日本海のその海は、遠浅なので、エメラルドグリーンに見えます。

父が幼い頃に転校した小学校で、風景画を描く際に、海を緑に塗って叱られたと言っていたのは嘘だと思いましたが、本当でした。


お墓参りに行くと、私は現状報告と感謝、今後ともどうぞよろしく、と伝えています。


そこで、はたと気が付きました。



私は夏至に、『こんな夢を見た』という投稿をしたのですが、


なんと、今、そうしています。

書いた様に、そのようになっています。

自然と、必然と。

細かく言及すれば、この9月後半から、急に次の仕事が決まりました。

それは、畏れ多いことに、とあることの『先生』です。

私はその投稿で書きました。

夢の中には老齢の男性の「先生」が出て来て、
私はそれが私だと気付いていた、と。


卵が先か、鶏が先か、

というような内容のことも書いていましたが、

私は自分がそう思ったからそうなったのか、そうなると知っていたからそうなったのか…


それに、全く偶然、欠員補充で呼ばれた人の隣に居て、話を振られただけなので、私は何も行動していないのです。


その老齢の銀髪の男性が誰であるかもわかりました。
日本の人ではありませんでした。

そして、私は、毎日お腹いっぱい食べて、疲れてぐっすり眠るのを始めると書いていました。

毎日寝て過ごしたいほど怠惰、が私のパーソナリティーだと思っていました。

まさに今日まで。

「命の出し惜しみをやめる」、と書いたことを自分で忘れていました。


したいように過ごしていたら、書いたように生活していました。


単に、怠惰にゴロゴロすることに飽きたのかもしれません。でも私は今も『布団の中から出たくない』という打首獄門同好会の歌が大好きです。


全く中身は変わっていません。

I love ofuton so much♡です。

90×180センチ四方が私の安全基地です。

隙あらば潜り込みたい。


ただ、隙がなくなったのかもしれません。

目の前の困った事象に対応していたら、そうなっていました。


例えるなら、「もう私は今日、布団から出ない!」と意気込んだときに、部屋に虫の羽音が……。みたいなハプニングの連続です。

それが、家族の「ヘルプミー」なときもありますし、「あなたこの書類出てないわよ」、な電話の時もあります。

それをただ繰り返していただけ。



その間に自分の意識にあったことは、それをするならついでに心地良くなりたい、という欲まみれなことだけです。


洗濯が必要ならば、香りの良いもので洗いたい。

お役所にいかなければいけないなら、ついでに美味しいパンを買いたい。

心地良くふかふかのベッドで寝たいので、布団を干したい。

腕が痛いので良い脱力ポーズを探す。(弥勒の手でした。)

すべては私の欲望発信です。


生きたい、というそれだけです。



実は元々、これ以上ソレを繰り返したくありませんでした。

私に確固たる心があるなら、欲望を削ぎ落として、即身成仏したかった。でも、私の心身や、私の環境は、それを私にGo aheadと言いませんでした。

それを強く感じたのは、ある日の夕立ちにあってからです。


その時私は、突然の豪雨に戸惑いながら、街中を運転していました。

高架下をくぐって角を左折した先が、
目も開けられないほど眩しく光っていました。
西に向かって車を左折させたせいでしょう。目の前にまだ夕日になる直前の、煌々と輝く太陽がありました。
坂の上から激しく照らすので、雨の中で路面はギラッと光り、雨粒に反射した輝きは真っ白で、危うく、ここがどこだかわからないほどに目がくらみました。

その後、また急に雨はやみ、今来た方を振り返ると、なんと虹が出ていたのです。

美しかった。
眩しさも、虹も、それから沈みゆく燃えるような真っ赤な夕日も。

この目で見てしまったから。

その美しさを私の感覚器を通してありありと感じてしまったから。


私の心身はその陽光に降参したのだと思います。



人間らしく、生きよ。


生命を堪能しろ。



四苦八苦してから楽になれ。


修行(人生)が、まだ足りない。






いや、


まだ、修行したい。





それを掘り起こすまでどれだけの習慣や物を捨てたかわかりません。


断食して世俗を嫌って、


でも私は、ミルク粥がうますぎた。


遮断しようとしていた世界では、皆それぞれに輝いていました。

消失しようとしていたことを恥じたいほどに。

それは真にキラキラとしているだけではなく、蝋燭の灯火であったり、灯台であったり、舞台の照明であったりします。

痛みを伴うこともあれば、苦しい最中ですらある。



それでもそれ自体を美しいと思うなら、私はまだ続きが見たい。

私にできることを、最善でもって成し遂げたい。


そう、思いました。

そして、さっき、その冊子はぽたりと私の足もとに落ちました。

最後に、その1ページから言葉を引用したいと思います。

これは私の出身校のチャペルで配られた冊子に書かれていたものです。
これもまた、偶然のことで、私は今日までそのページを読んだことがありませんでした。

本棚を整理していただけのことです。

ですが、この言葉は、いつか、誰かのそばにあるかもしれません。


私のそばには、もうしばらく、毅然とあるだろうと思います。


"When we do the best that we can,
we never know what miracle is wrought in our life, or in the life of another."

―私達ができるだけ最善を尽くせば、私達の人生か、誰かの人生に、思いもよらない奇跡がつくられる。

Helen Keller

私はいつもただ、そこにあるものを、
皆がつくったものを見て心を動かされているに過ぎない。


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