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私のおじいちゃん

私は祖父が大好きだ。
両親共働きの家庭で、保育園のお迎えもおじいちゃんおばあちゃんだった。

たくさん遊んでくれて、心配もかけて、
おめでたいときには一緒に喜んで祝ってくれ、
悲しいときは、「そうかね」と優しく受け止め、聞いて「大丈夫。」をくれた。
間違いなく愛情をいっぱいかけてもらった。

そんなおじいちゃんが認知症を発症して数年が経つ。94歳。
たまに自分の年齢を忘れて、「わしももう92歳やから〜」とか、本気でサバ読んでるときがある。
日々の、なんちゃないような雑事から忘れて、新しい記憶や習慣は入らない。
直近のデイサービス利用日や、出来事も忘れていて、
たまに、「弟〇〇さんの法事だけど…」と母が話しかけると、
「え?!いつかん?わしより先にか…」と本気で驚き、しゅんとなる。
これは初めてでもなく、お葬式も行ってるし、何度も同じリアクションをする。

そんな祖父が「ええね、リフレッシュじゃ」と、いつも行かないスーパーに隣接する100円ショップにひょこひょこついてきた。祖父は、お買い物自体が好きなタイプの人。

私も「最近の100均はすごいけねぇ〜!」などと張り切ってマイカーに乗せて出発。

お店についてすぐ、真新しさに感激したおじいちゃんは売り場を眺めて「はぁ〜」と感嘆の声を上げ、おめめがキラリンとしていた。

私が「おかんにお遣いたのまれとるから、ちょっと商品探してくるし、見てていいよ」と声掛けをして、おじいちゃんはにこにこ売り場を見ていた。
いつもの感じだ。
大概、園芸コーナーか、〇〇代節約!なグッズを見ていることが多い。

…だが、その5分後。
店内ぐるっと探しても、おじいちゃんがいない。

ありゃ?とスーパーの方を覗いてみた。そしたら祖父は、簡単に見つかった。
すごく見つけやすい所に居てくれた。

何台も並ぶレジが全部見渡せる場所で、後ろ手を組んで、ぼーっと立っていた。

その姿を見て、私は安心して小走りの足を止めた。と同時に、祖父の感じているビジョンがスッと頭に入ってきた。

祖父は、今この瞬間、誰とココに来たかも定かに思い出せず、ココがどこかのスーパーであることはわかるけど、何をしていたのか、全く把握できていないらしい。

その状況で、遠い耳と、薄くなった目で、お会計をしてレジを通る人たちを見ているらしかった。

「…ちがう…ちがう…この人もちがう…」

そして祖父の周りはすごいスピードで流れている。
そばを通る人の足並みは、祖父の倍ほど早く、賑やかに過ぎ去っていく。

その姿が、私が昔、教育番組でみた『ゾウの目線から見た人間の動き』の映像にそっくりだった。
本人は(ふつうに、いつも通り)動いているけど、周りが激流のようにザーザー流れていく。

それを眺めるおじいちゃんの目は、とても不安そうで、でも何を探しているかもわからなくて途方に暮れているようだった。


あぁ、おじいちゃんは、いつからそういった類いの体験をしているのだろう。
会いたい馴染みのある人は、この世にほとんどいなくなり、
知らない機械や、知ってたはずの電話などの機械も解らなくなって…

私がコソコソとそばに行き、
「やほっ!」とちゃかして横から顔を出すと、
すごくほっとした顔をして、「あんたかね、そっちにおったんか、ほうかね。」と目尻をゆるめた。

私の顔は覚えているらしく、知った人来て良かった、くらいのトーンで言われた。

そこからは、何を買うだの、あれは値段の割に数が少ない、だの、さんざんな話をしながらお仏壇のお供え菓子を買って帰った。
私はその時もう気付いていた。
今日母がおじいちゃんと一緒にお供えを買ってきたことを。

でも否定はしないと決めているので、
なんとなぁく、日持ちしそうな個包装の干菓子を勧めておいた。
…こんな時に知恵が回るのだけ、この脳みそに感謝している。普段私の脳みそさんはお休みしているんでしょうね。

行きはよいよい、帰りはこわい

でめっきりシュンとなったおじいちゃん。
助手席の姿が、普段より10cmくらい小さく感じる。

「あ〜、この道も久しぶりじゃ。そういやぁ、この病院遠いから、転院したいなぁ…」と仰られたが、もう転院して3年目くらいである。
「やっぱ近いのがいいよね」と流しておいた。
おじいちゃん、実は足腰むっちゃ強い。
昔は車やバスもなく、同じこの市内を、一輪車を引いて引っ越しまでしたらしい。アスファルトなんて勿論ない時代の話。

若いときは造船所で働いていた。
真面目な性格で、ず〜〜〜っと休まず働き、なんと、妻であるおばあちゃんは、その時の上司の娘という、なんとも時代を感じる話である。
唯一会社を休んだのが、家族全員ぐっすり寝すぎて目覚ましもならなかった日らしく、会社へは「お腹が痛い」と伝えて休んだらしい。おちゃめかよ。

そんなおじいちゃんが、今ではもう「時の流れに身を任せ〜」たら濁流に飲み込まれそうな毎日を送っている。

会いたい人はほとんどアチラに行かれ、毎日祖母の仏壇に話しかけている姿を見ていると、心がギュッとなる。

人生120年時代と話したら、勘弁してくれ。と言っていた。
確かに。その状態の長生きって…もはや自分だけ残業中みたいだよね、と孫は思った。

苦しい時間が続くと考えると、気易く「長生きしてね」が言えないのが辛い。
おじいちゃん…せめて一緒に楽しく過ごそう。
私はおじいちゃんの、3秒後には聞いたことを忘れて、「そうなんかね!ありゃ〜そうかね」と何度も新鮮なリアクションしてくれる、今のおじいちゃんも大好きだよ。

昔の日焼けしたしっかりした硬い腕でがっしり抱いてくれるおじいちゃんも好きだったけど、今の仙人さんみたいでおちゃめなおじいちゃんも大好きだよ。
できるだけ永く、おじいちゃんが居たいだけ、ココに一緒にいてくれたら私は嬉しい。

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