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形而上学(アリストテレス)

ソクラテス: 本日、私たちが探究するのは形而上学です。対話相手は、古代ギリシャを代表する思想家、アリストテレスさんです。アリストテレスさんは、プラトンのアカデメイアで学び、その後、自らの学派を創設されました。形而上学における彼の業績は、西洋哲学における基礎を築いたと言っても過言ではありません。アリストテレスさん、本日はよろしくお願いいたします。

アリストテレス: ソクラテスさん、こちらこそよろしくお願いします。形而上学について話し合うことは、常に喜びです。特にあなたのような尊敬する人物とならばなおさらです。

ソクラテス: 形而上学についてのご自身の考えをお聞かせください。なぜこれが哲学において重要なのか、そして、その研究が私たちに何をもたらすのかについて。

アリストテレス: 形而上学は、存在する(有る)ものについての学問であり、「存在(有る)」ということそのものと、存在するものが存在する原因を研究するものです。私はこれを「第一哲学」とも呼んでいます。なぜなら、これは最も基本的な原理と原因について探究する学問だからです。形而上学は、現実の根底にある構造と原理を明らかにしようとします。例えば、変化や動き、そして本質や存在の性質などです。

ソクラテス: なるほど、では、具体的にどのような問題が形而上学の範疇に入るのでしょうか。

アリストテレス: たとえば、「存在とは何か?」「実体とは何か?」「抽象的な形態と具体的な物質の関係は?」といった問いです。これらはすべて、私たちが現実をどのように理解するかに深く関わる問いです。

ソクラテス: それは興味深いですね。では、あなたが考える存在の本質についてもう少し詳しく教えていただけますか?

アリストテレス: 存在には多くの側面がありますが、私は特に「形相(エイドス)」「素材(ヒュレー)」の関係に注目しています。形相とは、あるものがそれ自体であるための定義であり素材はその定義を具現化する基礎です。実体はこの二つの組み合わせによって成り立っています。形相は実体の本質を、素材はその可能性を表します。

ソクラテス: とても明晰な説明ですね。では、素材と形相の関係はどのように具体的な現象に適用されるのでしょうか?

アリストテレス: 私たちが日常生活で遭遇するさまざまな物体を考えてみましょう。ある物体が木でできているとします。この場合、素材は木ですが、その木がどのような形をしているか、たとえば椅子であるか机であるかによって、その形相は規定されます。形相はその物体が特定の目的を果たすための、その構造や配置を指します。ですから、素材と形相の関係は具体的な現象において、物体の本質とその可能性を理解するための枠組みを提供します。

ソクラテス: なるほど。

アリストテレス: この素材と形相の概念は、事物の変化を分析するさいにも有効です。変化とは、素材が異なる形相を受けとる過程です。木から椅子が作られる過程を考えてみてください。木という素材は、様々な形態(例えば「椅子」や「机」の形相)を受け入れうる点で、さまざまな変化の可能態(例えば「机」や「椅子」の可能態)として存在しています。変化は、その素材が異なる形相を実現し、現実態になることで起こります。このように、変化においても、形相と素材の区別は私たちが現象を理解する上で重要な役割を果たすのです。

ソクラテス: その見方は非常に示唆に富んでいますね。しかし、素材と形相の区分は常に明確なのでしょうか?  

アリストテレス: ソクラテスさん、その質問は非常に重要です。この二つの概念は、事物を理解するための理論的な枠組みを提供しますが、実際の事物に適用するときには、その区別が曖昧になることがしばしばあります。家を建てる過程を考えてみましょう。この場合、木材やレンガといった素材は、家という実体を形成するための「素材」として機能します。しかし、この木材やレンガ自体をさらに細かく見ていくと、それらはそれぞれの前段階で、たとえば木材は木という生物の「形相」から来ていることがわかります。木という存在が、特定の環境や条件の下で成長し、その結果として木材という形態をとるのです。同様に、レンガは粘土や泥という素材が特定の形に成形され、焼かれることによって作られます。

ソクラテス: なるほど、それは興味深い視点ですね。つまり、ある文脈では素材と見なされるものが、別の文脈では形相として機能するということですか?

アリストテレス: まさにその通りです。このように、素材と形相の関係は固定的なものではなく、観察する文脈や分析のレベルによって変わりうるのです。

ソクラテス: アリストテレスさんのお話から、哲学的な枠組みを用いて世界を理解しようとする際の挑戦がよくわかります。素材と形相の区分が有用である一方で、それらが常に明確であるわけではなく、実際の事物や現象の理解にはより広い視野と深い洞察が必要であるということですね。ところで、素材と形相の概念はすべての事象に適用できるのでしょうか。思考や感情のような非物質的な現象にも、この区分は当てはまりますか?

アリストテレス: はい、非物質的な現象においても、素材と形相の概念を用いることができます。思考や感情は、私たちの魂の活動として捉えることができますが、この場合、魂の潜在的な状態が「素材」に相当し、それの現実態である思考や感情の活動が「形相」に相当します。つまり、魂の潜在的な能力が現実化する過程も、素材と形相の枠組みを通じて考えることができるのです。このように、素材と形相の概念は、物質的なものだけでなく、非物質的な現象を理解するためにも適用できるのです。

ソクラテス: アリストテレスさんのお話は、素材と形相の関係に関する深い理解を示しています。しかしながら、この議論が進むにつれ、私たちの探究にはさらなる深みが必要であることが明らかになってきたように思います。形相と素材の枠組みを超えて、存在そのものの性質について考える時が来たようです。アリストテレスさん、さきほど「存在には多くの側面がある」とおっしゃいましたが、この存在の多義性についての見解をお聞かせいただけますか? これは形而上学における重要なテーマであり、おそらく、私たちの理解を新たな段階へと導いてくれるでしょう。

アリストテレス: ソクラテスさん、その問いは私の研究の中心的な部分です。存在には、確かに多義性があります。私は存在が単一の意味を持つのではなく、さまざまな意味で用いられることを指摘しました。ただし、さまざまな意味があるといっても、それらの意味は完全に独立してあるわけではありません。「存在」は一つの原理に照らして語られるのです。これは後に「一つに関係する同名異義(pros hen equivocity)」と呼ばれることになる概念です。

ソクラテス: それは非常に興味深い考え方です。具体的には、この「一つに関係する同名異義」はどのような形で存在の理解に影響を与えるのでしょうか?

アリストテレス: 例えば、私たちが「健康」という言葉を用いる場合を考えてみましょう。私たちは食事が「健康である」と言うかもしれませんが、それは健康な生活を支えるものとしてです。また、体を「健康である」と言う場合、それは健康な状態にあるという意味です。これらの異なる使用法は、すべて「健康」という単一の概念に依存して成立します。同様に、「存在」という言葉も、実体、性質、関係など、異なる文脈で用いられますが、これらはすべて一つの根本的な概念に依存します。このような仕方で存在の多義性を理解することで、私たちは世界とその構成要素の関係性をより豊かに捉えることができます。

ソクラテス: なるほど、ではその「一つの根本的な概念」についてどのように考えていますか? この多義的な存在の理解の中で、何が特別な役割を果たしているのでしょうか?

アリストテレス: 実に、存在の理解において中心的な役割を果たすのは実体(ウーシアー)です。私は実体を、「他のすべてがそれに依存して存在し、それ自体は何にも依存しないもの」と定義しています。この定義からも分かるように、実体は存在の多様な形態を支える基盤となります。実体は素材と形相の組み合わせであることが多いですが、実体そのものは、その存在において独立していると考えられます。存在の多義性の中で、実体はすべての存在の形態が最終的に関係する基点であり、この理解を通じて、私たちは世界を構成する基本的な要素についての洞察を深めることができます。

ソクラテス: なぜ素材と形相の組み合わせを「実体」と考えるのか、その理由について詳しく教えていただけますか?

アリストテレス: もちろんです、ソクラテスさん。私たちが「実体」と呼ぶものは、その存在において独立していて、自己同一性を保持し、変化する他のものの基盤となるものです。素材と形相の組み合わせを実体と考える理由は、この二つが合わさることによって、個別の存在が具体的に、かつ独立して現れるからです。素材は、ある実体が何からできているか、つまりその構成要素を提供します。一方で形相は、その素材がどのようなものであるか、つまりその実体の本質や特性を定義します。

ソクラテス: つまり、素材と形相が組み合わさることによって、実体がその特定の本質を持つというわけですね。しかし、なぜこの二つの組み合わせだけが実体を形成するのでしょうか? 他にも実体を構成する要素は考えられないのでしょうか?

アリストテレス: 実に良い問いかけです。私たちが実体と考えるものは、確かに素材と形相の組み合わせによってのみ成立するわけではありません。しかし、これらは実体を理解するための最も基本的な要素です。実体を形成する他の要素も確かに存在しますが、それらは素材と形相の枠組みの中で理解されることが多いです。たとえば、ある実体の機能や目的も、その実体の形相の一部と見なされることがあります。素材と形相の組み合わせが実体を理解するための基本的な枠組みである理由は、この二つが実体の存在とその特性を説明するために最も根本的な要素であるためなのです。

ソクラテス: アリストテレスさんのご説明は大変興味深いです。しかし、実体がすべての存在の形態が最終的に関係する基点であるという見解にはいくつかの問題点がないでしょうか? 特に、実体と他の存在形態との関係性に関して、もう少し深く掘り下げて考える必要があるように思います。実体が独立して存在するという考え方は、実際には他の存在形態や現象との関係性の中でどのように成り立っているのでしょうか?

アリストテレス: ソクラテスさん、ご指摘の通り、実体と他の存在形態との関係は非常に複雑です。私の考えでは、実体は確かに他の属性や関係などに対して基盤を提供するものとして存在しますが、これは実体が孤立して存在するという意味ではありません。実際には、実体と他の存在形態は互いに影響し合いながら存在しています。例えば、ある人物が持つ特定の資質や関係は、その人物という実体の理解を深めるのに役立ちますが、これらはその人物の実体に依存して存在するのです。

ソクラテス: そうですね、実体と他の形態との相互依存関係は理解に至る重要な鍵の一つでしょう。しかし、存在の多義性において、実体をすべての形態が関係する基点とすることで、我々は他の形態の独自性や重要性を過小評価しているのではないでしょうか? さらに、「一つのものに関係する同名異義」の概念に戻ると、実体以外の形態もまた、存在を理解する上で同じく根本的な役割を担っていると考えられます。実体の概念に依存し過ぎることなく、存在の多様性をどのように平等に扱うことができるのでしょうか?

アリストテレス: それは極めて妥当な疑問です。実際、私の「一つのものに関係する同名異義」の理解は、存在の各形態が互いにどのように関連しているか、そしてそれぞれがどのような独自の役割を果たしているかを明らかにすることを目的としています。実体を中心に据えることによって、私たちは存在の根底を理解しようとしますが、これは他の形態の重要性を否定するものではありません。むしろ、存在の多様性を全体として捉え、各形態が全体の理解にどのように貢献しているかを理解することが重要です。

ソクラテス: あなたの説明を聞いて、私たちが存在の多義性について考える際、実体と他の形態の間の相互作用と相互依存性をより深く理解する必要があると感じます。しかし、「一つのものに関係する同名異義」を受け入れた場合、実体を中心とするこの枠組みが、他の形態の存在の理解を妨げる可能性はありませんか? 特に、あなたが実体がないとみなす「善」のような抽象概念や、力学的法則のような、実体に直接依存しない自然法則の理解において、この枠組みはどのように機能するのでしょうか?

アリストテレス: 確かに、ソクラテスさんの懸念は理解できます。実体を中心とした枠組みが、他の形態の理解を制限する可能性はあります。しかし、私は「一つのものに関係する同名異義」を通じて、存在の多様性に対する理解の枠組みを広げようとしています。抽象概念や自然法則も、それぞれが独自の方法で「存在する」という基本的な問いに寄与しています。これらは実体に直接依存しないかもしれませんが、存在の全体像を構成する際には、それぞれが重要な役割を担うはずです。したがって、実体中心の視点は、存在の全体像を理解する一つの手段であり、他の形態の存在も等しく重要であると考えています。

ソクラテス: 私たちが存在の多様性をどのように捉えるかは、哲学の根本的な問題です。あなたの「一つのものに関係する同名異義」という考え方は、確かにこの問いに対して新たな視点を提供します。ただし、実体を中心に据えた理解が、実際には抽象概念や自然法則を含む存在の全体像の理解をどのように促進するのか、その具体的な方法についてはさらに検討が必要かもしれません。実体以外の存在形態が私たちの世界認識にどのように影響を与え、それらが相互にどのように関連しているかを理解することは、形而上学の研究における重要な次のステップとなります。

アリストテレス: ソクラテスさんの指摘は重要な次のステップを示しています。私たちの理解を進めるためには、実体だけでなく、存在の他の形態をどのように統合し理解するかについて、さらに深く掘り下げて考える必要があります。この探究は、存在の本質についての私たちの理解を深めることに貢献するでしょう。ソクラテスさん、本日はこのような重要な問題について議論できたことを嬉しく思います。私たちの対話は終わりましたが、哲学の探究は続きます。私たちが提起した問いと懸念は、未来の哲学者たちによってさらに探究されるべきものです。

ソクラテス: アリストテレスさん、貴重な意見を交わすことができて、私も大変うれしく思います。私たちの対話は確かに終わりましたが、哲学の探究はこれからも続くでしょう。存在の多様性と実体の本質についての私たちの議論は、後世の哲学者たちがさらに深めていくであろう重要なテーマです。ありがとうございました。

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