美徳なき時代(アラスデア・マッキンタイア)
ソクラテス:今日は、アラスデア・マッキンタイアさんと「美徳なき時代」について議論を進めたいと思います。マッキンタイアさんは道徳哲学の分野で著名な思想家であり、特に『美徳なき時代』という著作では、現代社会における道徳の混迷や、美徳の再興について深い洞察を示されています。まず、マッキンタイアさん、あなたの主張する「美徳なき時代」について、簡単に説明していただけますか?
マッキンタイア:もちろんです、ソクラテスさん。この本で私が言いたかったのは、現代社会では道徳的な秩序が崩壊しており、その原因は、啓蒙時代以降の道徳的基盤の喪失にあるということです。啓蒙時代には、人々が理性に基づいて道徳を再構築しようとしましたが、結果的には道徳は感情や個人的な好みの問題として扱われるようになり、公共の倫理として機能しなくなってしまいました。これが、私が「美徳なき時代」と呼ぶ現代の状況です。
ソクラテス:つまり、現在の社会では、道徳的な議論がもはや理性的な基盤の上に成り立たず、個々の感情や好みの問題に過ぎなくなっている、といわけですね。それは確かに重大な問題です。ところで、あなたは啓蒙思想やリベラリズムがこの問題の主要な原因だと述べていますが、どうしてそれが道徳の崩壊に結びつくのですか? 啓蒙思想は、人間の理性を尊重し、合理的な議論を促進しようとしたものであったはずですが。
マッキンタイア:確かに啓蒙思想は理性を強調しましたが、私が問題視しているのは、彼らが道徳を伝統や共同体から切り離したことです。啓蒙思想家たちは、普遍的な道徳の基盤を作ろうとしましたが、それは結局のところ失敗に終わり、道徳が個人の主観的な感情に依存するようになってしまったのです。ヒュームのような哲学者は、道徳を感情に基づくものだとしましたが、この考え方が今日の道徳的相対主義の根本にあると考えています。
ソクラテス:なるほど。理性主義そのものに問題があるというよりは、道徳を伝統や共同体から切り離してしまったことが問題だというわけですね。では、その失われた共同体や伝統をどのように再構築していくべきなのでしょうか? 現代社会で美徳を取り戻すにはどうすればよいのでしょう?
マッキンタイア:私は、まず小さな共同体の中で道徳的な実践を復興させることが必要だと考えています。現代の大規模な国家や市場経済は、個人にとってあまりにも抽象的で、彼らが道徳的な意味を見出すのが難しい状況です。だからこそ、家族や地域社会、職場といった小規模な共同体が重要になるのです。そういった共同体の中で、共通の目標に向かって協力し合いながら、美徳を育んでいくことが大切です。
ソクラテス:そのような小さな共同体での実践は、確かに現実的かつ効果的かもしれません。しかし、現代の個人主義的な社会において、そのような共同体が持続できるかどうかは問題です。特にグローバル化やデジタル技術の進展によって、人々はますます分断されているように見えます。このような状況の中で、共同体がどのように維持され、美徳が育まれるのか、その点が気になります。
マッキンタイア:それは非常に重要な指摘です。現代の技術や経済システムは、確かに共同体の形成を困難にしています。私が描く理想は、現実の複雑さに対処するには難しい面があるかもしれません。しかし、今の道徳的混乱の中で、何かしらの変革を始めることが必要だと信じています。小さな変化から始め、それが積み重なって大きな転換につながることを願っています。
ソクラテス:なるほど。あなたの提案は、確かに一つの道を示していると思います。ただし、理想と現実のギャップを埋めるためには、さらなる工夫が必要でしょう。現代の多様で複雑な社会において、美徳を再構築するための道筋をより具体的に示すことが、今後の課題となりそうです。今日は非常に示唆に富んだ議論ができました。このテーマについては、引き続き深く考えていくべきだと思います。