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不幸に違いないという色眼鏡

おはようございます。

ママコーチsatomiです。
2月も半ばで、少しづつ梅の開花や河桜のニュースも流れ、春の新しい季節の訪れを感じます。

自分の意識も新しく変化させるのにぴったりの時期かもしれません。

今回も私の意識を変化させる出来事が。

私のメインエリアは新宿。池袋近辺で、よく路上生活されている方や駅で座り込んでいる方を見かける。

前は反射的に目をそらしたり、「可哀そう」とか、

「なんだか近寄りたくない」と思っていた。

ふと、彼らは

「不幸に違いない」と私が勝手に思っている

自分が世の中をどう見ているか、

その眼鏡こそ、自分に起こる現実を作っている

だから、普段気づかない自分の眼鏡知ることは重要。

もしかしたら彼らの中で、大切にしたい価値が

「精神的・時間的自由」で、

あえて人生で自分で選択して生きているとしたらどうだろう。

これって凄くない!?


そう思うと彼らが神がかった仙人にも見えてくる。

いちいち周りの声に振り回されない達観した感じ。

要は自分にとって大切な価値のプライオリティ(優先順位)の問題。


私は無意識に世の中を見るときに、

昼間は働くべきという「ルール」とか「金銭的成功」とか「安定」とかで見ていたのかもしれない。


もちろん「金銭的成功」や「安定」を重視すること自体は問題じゃない。


重要なのはここから


私自身は昨年、自分の中で大切にしたい価値を挙げたときに上位に「創造性」や「好奇心」を挙げていた。


そう思うと、自分で優先順位を高くしたいと思っていた価値と実際自分が見ている眼鏡(フィルター)に

「ズレ」があるのかもと気づいた。

このズレが問題。


眼鏡がずれていたら修正すればいい

こう気づくのが大事。


気づいたあとは、「創造性」や「好奇心」を大切にする自分ならどういう行動や振る舞いをしていくか

どういうことで悦びを得ていくか、改めてイメージ。


あなたは、人生を悦びで満たすために、

自分にとって大切にしたい価値は何ですか?


春は自分の眼鏡👓を見直すよいチャンスかもしれませんね。


satomi



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