見出し画像

人生で最高に嬉しかったこと

最近気づいたのが、成人してから喜びの感度がグンと下がっています。
楽しいことをしてるのに、その場を楽しめなかったり、ありがたいこともありがたく思いにくくなったり.…
あと、シンプルに記憶力も低下しているため
いい意味でも悪い意味でも色々忘れてしまってます。
どれだけ貴重な経験でも、形に残らないから忘れてしまって意味がないのでは?と思ってしまうぐらい。
トラウマ級なことや覚えててもしょうがないことばかり思い出せるのに、良かったことに限って思い出せない。

悲しすぎる.…これまでの人生なんだったんだ、と最近思っております。

そんな中で、なんでかよくわからないけど鮮明に記憶に残ってて嬉しくて心がホンワカしたことをふと思い出したので未来の自分のためにかいとこうと思います。

【レジでおねいさん】
学生時代、バイトをしていたころです。
雑貨店でレジのバイトをしていたのですが、
お客さんで綺麗めなお姉さんがきたんですね。
会計中、すごい私の腕をまじまじと見てるんです。
なにかな、と思っていたら
「お姉さんの腕時計、どちらのなんですか?」
と、突然話しかけられました。
ちょっとドギマギしながら、メーカーとか答えてたら真剣に聞いてくれたんですね。
ありがとうございます、かわいいですね、と爽やかに答えておねいさんは去っていきました。

【服屋でおねいさん】
ふらっとウィンドウショッピングで服をみていたら
服屋のおねいさんがイラッシャイマセーと接近してきたんですね。
あんま話しかけられるのが苦手なので、ちょっと避けながら服をみてたんですけど
「突然すみません!あの、香水とかつけてらっしゃいますか?」
あぁ、はい?みたいな感じで返したら
「すごい好みの匂いで.…失礼ですがどちらのものなんですか?」
と聞いてきてくれたんですね。
これも誇らしげに答えると、嬉しそうに
「そうなんですね!入店したときからふわっとしてすごいいいなっておもって、、、覚えておきます!すみません笑」
みたいなことをいってスッーと持ち場に戻っていきました。

【皮膚科でおねいさん】 
雨が降っていた日に、皮膚科にいったんですが
エレベーターにのりあわせたお姉さんに
「その傘、いいね」
と突然話しかけられました。
私の傘がちょっと特殊な折り畳み傘で、雨に濡れてもすぐにカバンにしまえるような仕様のもので
私がエレベーター内で傘をカバンに入れる動作をじーっとみてくれていたみたいでした。
これも誇らしげにメーカーを伝えると
いいな、私も買おっかな笑
みたいな感じで降りて行きました。


、、、、
これが最高の思い出なの、なんか切ないような気もしますけど、要は

赤の他人に話しかけてくれるコストを払ってまで、真心・本心で持ち物を褒めてくれた

ことがうれしかったんですね。
うれしポイントとしては、
①赤の他人
→別に気を使わなくていい相手。
ごまをすったってほんとに袖触れ合う程度の関係性で一生会うことがないかもしれない人

②わざわざ話しかけてくれる勇気
→赤の他人に話しかける時って相当迷惑なときや緊急時ぐらいで、あえてコンタクトをとる必要なんてないし、話しかけるハードルはかなり高いことだと思います。
でも、緊急性が高くなくてわざわざ話しかけなくてもいい相手にたいして、話しかけハードルをひょいと超えてまで声をかけてくれたんです。
それってすごいことじゃないですか?
すごい想いが詰まってる感じというか、嘘じゃない、というかんじがします。

③言ったらスッと去っていく
→①の通りお互い利害関係が全くないから別にほめたって何も生まれないんです。
だから、いずれのパターンもみなさんほめっぱなしでなんの見返りも求めずスッと去っていったんですね。
こういうさっぱりさが余計に、わざわざしなくてもいいことをあえてしてくれた感を引き立てる要素になってます。
仮に服屋のおねいさんパターンが褒めた後に服をおすすめしてきたりしたら、褒めたんだから買えよ、みたいな雰囲気になっちゃいかねませんが、
フツーに持ち場に戻っていって私のことを別に構ったりしなかったんですよね。
そこがなんか本当に純粋に褒めてくれてたんだ、みたいな嬉しさをもたらしてくれたんですね。

④シンプルに持ち物を褒められたこと
→これは普通に持ち物を褒められることってうれしいですよね。
自分自身を褒められる(ほぼないが)のも嬉しいですが、なんとなく褒めてくれる裏の気持ちに何かあるような気がしてしまいます。
ですが、持ち物って別にそんなわざわざ褒めなくてもいいからよっぽどいいと思ってくれた時にしか着目されないと思うんですよね。あと、自分のセンスまかせの選りすぐりの好きなものだから、自分のセンスを他人に認めてもらえるとなんか心から嬉しいと思います。
これは友達とかにも言われたら嬉しいことです。
でも、友達だとそこまで強い気持ちでいいな、て思ってくれてなくても半分お世辞みたいな感じでいってくれてる可能性があるなって思っちゃいます。
本気で譲ってくれ、とかどこで買ったの、私も買いに行く、とかほんとに買いに行った、とかだと本当の心を感じられるから、その時に初めて嬉しいと思えます。なんか、素直に受け止められないって不憫ですね。 

と、分析をしてみました。くだらねぇけど大切な気づきかもしれませんね。

社会の荒波に揉まれてて多くの人と関わるようになり、言葉の裏を察しないとやってけないこの世の中で、真意ってなんだろ、真心ってなんだろ、みたいな気持ちになってます。
思春期のころのような直接的な言葉で傷つくことは減ったけど、あの頃みたいな本音でぶつかる、みたいな感じってもう味わえない気がします。

そんな中で、今回のうれしエピソードは大人になってから久しぶりに人の真心に触れたという話でした。
真心って、いいですよね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?