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〇第64回議論「歴史総合における平和学習の実践報告~歴史と記憶をテーマに~」(報告者 「歴史総合」研究チーム)

第64回議論は広島県の公立高校の報告者から「歴史総合における平和学習の実践報告~歴史と記憶をテーマに~」という題でご発表いただきました。


報告者は、様々な場所でご活躍されている先生です。


教員歴9年目で今年度は歴史総合、2・3年生の世界史をご担当されており、知識攻勢型ジグソー法教材の量産に取り組まれています。

既存の概念を覆していきたいという思いを持っておられます。


報告者の勤務されている学校はその地域の進学校であり、実績もあり授業を非常に行いやすいとおっしゃっていました。


この学校には被爆の歴史があり、教員と生徒が多数犠牲となりました。


そのような背景から歴史総合の教材を作成されており、歴史の扉においても、「校則から歴史の扉を開く」と題し、歴史を知り、校則を知り、その是非を考えるというものでした。


生徒たちは多様な意見を出しており、活発な議論が行われた様子が見て取れました。

総合的な探求の時間とのタイアップ企画のご紹介もいただきました。


「資料館は分析的か、共感的か」といった内容から始まり、大衆化と私たちの単元において「原爆資料館はどの程度実物展示主義であるべきだろうか?」といった問いで授業構成を練られていました。


授業の冒頭で、「1945年8月6日8時15分のこの場所の情景を思い浮かべてください。」と発問し周りと共有し、その後、「はだしのゲン」の原爆投下シーンを視聴し授業者や周りの生徒たち全員が歴史の記憶の「拠り所」とするものが違い違った認識を持っていることを確認します。



資料館についての資料を読み解いていき最後に自分の意見を書いていきます。平和を願うという同じ方向性ですが、その方法論の違いや難しさに触れます。


生徒たちの記述からは非常に深く考えられており、さらに双方の立場に立ったうえでの意見だという印象でした。


実物と創作物の意義、すべてが実物であるべきなのだろうかという葛藤がみられました。


実践を振り返って、成果としては、歴史や記憶を「学ぶ」側の視点から「伝える」側の視点に立たせたことで、それらをメタ的に考えさせることができたこと、異なる意見をもつ者同士それぞれが平和を伝えるために真剣に議論してきた経緯を学ぶことができた、といった点でした。



また、課題としては、どうしても授業者の意見に引きずられるのではないか、1時間ものなので深まりに限界があった、総合的な探究ともっと連携して、展示への提言というプロジェクト式にしてもよいかもしれないという非常に勉強になる振り返りでした。


今回の発表において、歴史総合の教材は「歴史と記億」に焦点をあてて作られていることがよくわかるものとなっていました。


ブレイクアウトルームでの議題案は①この実践へのご意見・ご感想・目標や方法は適切だったか?・「歴史総合」の内容として適切だったか?・授業への改善案


②「悲惨な記憶」を伝える歴史資料館における実物展示・創作物展示・展示方法についての先生方ご自身のご意見といった内容でした。


【以下議論】
・ジグソー法において資料の分解の仕方は。生徒たちがどのようにして組み合わせられるようにしたのか。


→そもそも生徒たちはジグソー法になれている。
まずは、それぞれの資料が重要な視点を持っていること。

足し算方式にはならないようにすること。政治、経済、文化という分け方でもなく、うまくかみ合うような意識で作成。


・何を教えたかったのか。→記憶をどうつないできたのかを考えることが大切。記憶を継承するために先人たちはいろんなことに取り組んできたことを知る。


・兵庫県で行うのであればどのようなものがあるのだろうか?

・戦争体験者のおはなし。「資料館に行かないのはなんでですか?」「資料館に行ったらウソになってまう。」あんなもんではない。最近はかなりソフトに表現されるようになった。


・本物の展示にも必ず主観は入ってしまう。置く場所、置き方で変わってしまう。



・展示の仕方一つとっても深い意味があり、研究の大将にもなるものである。


・資料のとらえ方。アウシュビッツの日本人の方(中谷さん?)は現代の話なども絡めてお話しされている。これと似たことを広島でもできるのではないだろうか。


・被害者側から、加害者側からはどのように描かれているのか、調べてみても違いが見えてくるのではないだろうか。


・年代でとらえ方も変わってくる。客観的な取り組みができるのか。


・広島の生徒たちは原爆の内容を始めると「またかよ」という感じが少なからずしてしまうのが現実。これは大きな課題。


参加者20名

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