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第119回 なぜ「先駆的な」社会科授業の実践は困難であるのか?ー労働問題・組織文化・専門性の観点からの考察ー

 第119回は大学院生の方の研究発表です。外部人材と連携したり、論争問題学習を扱ったり、多角的に歴史を扱ったりという先駆的な社会科授業。実践されている先生もいますが、やりたくても難しいと考える先生が多いのが現状で、その要因を社会的・環境的側面(労働問題・組織文化・専門職性)から考察し、報告してくれました。
 授業以外の業務量が多く、過労死ラインを超えているというデータも出ているほどの長時間過密労働の中で、多くの先生が教材研究にかける時間がないと感じているようです。しかも社会科は何を目指してどのような内容や方法をとるかについて自身で考える必要があり、広く深い知識が求められるという特徴もあって、先駆的な授業をめざすとプライベートを縮小してしまうことになります。
 また、先生は学校という組織の一員として学校の教育目標達成に向けて取り組むことが求められます。組織モデルをいくつか紹介していただきましたが、現在は主幹教諭や指導教諭が設置され、縦の権限関係を通じて円滑に意思伝達ができるピラミッド型、理想は目的や必要に応じて自在に教員同士が繋がり合うモザイク型だそうです。先駆的な社会科授業の実践を考えた時に、学校の教育目標や経営目標から見て適切な授業が行われているのかが問われ、例えば難関大学進学を掲げる学校ではそれに直結した授業でないと管理職や同僚、保護者生徒に理解してもらえないということになります。
 さらに教師の専門職性。”教師の地位”をイメージするとわかりやすいということでしたが、学校教育の拡大や社会、子ども、保護者の変化、マスコミ報道による影響など教師に対する信頼の低下が起こり、保護者や地域住民と共同の学校統治が目指される中で教師の専門職性が劣位化してきたとの指摘もあるそうです。先駆的な社会科授業は教師の自律性あってこそできるもの。それを低下させるような状況は、先駆的な社会科授業が実践しにくい要因になっているということでした。
 このような状況の中で、教師はどうすればよいか、何ができるか。労働問題に関しては業務の削減が必要で、そうなると先生は何をするべき人なのか、先生自身が取り直しを図っていく必要があります。学校組織の中で先生自身がやりがいを感じられることを主張していき、それを中心にマネジメントしていく方法があれば、労働問題が解決していけるのではないかということです。プライベートを充実させることでも教材研究に繋がることは多く、ワーク・ライフ・マネジメントも挙げておられました。組織文化は一人で変えていけるものではなく、何らかの取り組みの中で変わりうるもので、外部人材とともにカリキュラムを再検討したり校内研究会等で連携するなどが有効的。同じ価値観を共有する機会を設けることで変えていけるのかもしれません。最後に教師の専門職性ですが、特に社会科教員は民主主義のプロとして授業以外の場面でもその専門職性を発揮できることが強みということもおっしゃっていました。
 先駆的な社会科授業をするには、土台作り環境づくりが大切で、それは人と協同してやっていくことが重要ということで締めくくられていました。授業のあり方を労働問題や学校を取り巻く環境や人から考えるという新しい見方を提示していただき、大変興味深く聞かせていただきました。

ー質疑応答ー
・昔の教師と今の教師のアイデンティティの自覚に違いはあるのか?「昔の教師は〇〇だったのに」というのを言う人もいるが…→昔の教師は「子どものためにもっと」という聖職者的要素があったのだと思う。今は労働者的な要素が強いのか。生きてきた時代、採用試験の倍率などの違いから考え方や行動に違いが生まれくるのではないか。「昔は〇〇」の発言はそこからくるのではないかとインタビューから感じるところはある。
・教師とは何をすべき人なのかを教師自身が問い直す、同じ考えを持つ人達と連携する等の話があったが、それ自体が難しいのではないか。仕事が忙しい、プライベートも確保したいという中で、これまでの様々な研究分野で具体策として乗り越えるようなものはあるのか?例えば社会学教育や教師教育の分野に親和性があったりするのか?→難しい課題。研究はあるが、外部との連携のように「こういう方向性がありますよ、だから先生方やってみて」と最後は教師に投げてしまっている。そもそもが困難な状況の中で教師でどうにかってみてよ、というのが現状。理論と実践の問い直しにおける社会学教育の対応策として教師教育に重きが置かれている。学会で共有されるカリキュラムや理論ができる、困難な状況を突破できる強い教師を育てようという方向性に感じる。それも大事だが環境面を整えることも大事。
・何人の先生にインタビューしたのか。対象となった先生の選択基準は?発表の中で紹介した研究は外部人材と連携できない先生にインタビューしていた。外部人材と連携できている先生にも聞く必要があるという課題があったので、今後どちらの意見も聞いて、どうすればよりうまくやっていけるのか、などを考えていければと思う。

ー 以下議論(これまでに先駆的な社会科授業に挑戦した経験はあるのか?なぜできたか?どのような障壁があったか?) ー
・先駆的な授業とはどういうものか。問いを立てる、現代的諸課題を考える、観点別評価、ICTなど新学習指導要領に示されているものへの対応で現場の先生方は苦労している状況がある。新学習指導要領に書かれていることだけでなく、先駆的な授業がその先のものを指すとすると現場の教員にはハードルが高い。
・一昔前の教科書と比べると最近の教科書そのものがある程度授業ができるような構成になっている。問いがあったり、探究すべき資料があったり、探究の道筋があったり、教科書が授業化されている状態。しかし、逆に教科書に縛られるようなことになっているのではないか。
・学校組織における社会科教師の役割や強みを考えたことがなかった。社会科教師がどのような役割や強みを発揮すれば学校組織自体が強くなるのか?→(報告者の返答)民主主義的な価値を大事にするところが社会科教師の強みと考えてる人が多いように思う。キーワードとして出てくるのが多様性や包括。最近では外国にルーツを持つ子どもが増えており、多様な価値観を尊重して引き出すことも求められる。教員間で協力が必要な場面でも互いを尊重できるほうがうまくいく。このように学校を民主的な組織にすることが、社会科教員が専門性を活かせることではないかと考えているところ。
・最近チャーミングな先生が少なくなったのではないか。この先生と話してみたい、この先生に話を聞いてほしい、と思うような先生。生徒のニーズが多様化している中で先生の多様性もあっていいのに「組織論」という形でがちがちに固めてしまうとチャーミングな先生を排除するような傾向が出てくるのではないかが懸念される。
・教材研究は教えることを時間をかけて調べるのではなく、授業の根本的構造を示せるかに重きを置く。知識をつけすぎると根本がぼやける。知識があっても言わない。そこで出てきたものは後で調べたり生徒に調べさせたり。先駆的な授業とはそういう授業だと思う。
・教科書から離れると生徒や保護者から不安の声がでることはあるので学校の文脈に全く縛られないこともないが、生徒との信頼関係ができるとそんな声も減ってくる。教師の専門性と社会科を教える専門性は別の話ではないか。教員としてどういうふうに生徒対応するか、関係をつくるかも大事。
・考えてほしいことは3点。まず、研究は新しい視点を出しているが、それをどういう形で解決するのか。一つの研究テーマとしてドクターまで考えてほしい。例えばマスターでは高校の地歴公民を考えて、ドクターでは中学校や小学校の先生と比較したり海外の先生と比較してみるなど。そうして、なぜ違いが出てくるかをポイントにしてほしい。次に、「困難性」。何をもって困難というのか。授業づくりが困難化、組織化するクラスで子どもたちを動かす困難か、科目間の教員同士の関係が困難なのか。授業化された教科書に拘束されることも「困難」と言える。何を「困難」とするのかポイントを絞ったほうがよい。3つ目は指導要領があるから教科書が変わるのではなく、多くの現場の先生方のニーズに応じて教科書が変わる側面もある。「教科書がないと困る」と考える先生は逆に授業の自由度を狭めてしまうこともある、ということをどう考えるのかも頭に入れて研究を進めてほしい。

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