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セクシュアリティ診断で悲しくなる人。

女の子らしくいなきゃいけないとずっと思ってた、っていう怒りがある。
誰かに何かを言われたのではなくて、教育、時代、文化、社会からの無言の圧を感じていたから。
そして、中学の男子がlgbtqを悪くいう・茶化すあの現象はなんなんだろう?
もしこんなか(クラス)にlgbtqいたらどうすんだよという冷や汗をかいていた記憶があるし、なんか当事者でもないのに見てて傷付く(暴力を目の前にした人も傷付くのと似てるのかも)。
男子だけじゃなくて女子も陰湿なやり方で悪く言っているんだけど、それも私には意味が分からなかった。

でも、セクシュアリティ診断(この手の物に正確さはないとは思ってる)っていうのをやってみて、なんで「今まで私は女として生きてきたんだよ!!!!」っていう怒りがあるのかなんとなく分かった気がする。

大学の卒論でインタビュー調査をしていた時、社会福祉士さんの娘さんにも頼んだんだけど、その社会福祉士さんが私のアンケート用紙を見て「性別欄は男・女の二択にしない方がいいよ」と言われたことがある。
なんか、「わかってるよ!!!!」って怒りたくなってしまったんだよね。
それは間違いを指摘されたことへの怒りというより、私はずーーーっとこの「男・女欄」の女に条件反射的に○してきたんだよ!!!!っていう怒りだった。
※娘さんに頼んでいる以上、文句みたいな事言えないなと思って、社会福祉士さんには感謝の意を伝えて穏便に済ませた

でも、別に私は自分の性別にたいして違和感もないし、同性愛者ではないし、と深く考えず、その怒りはそのまんまにしてきた。

でもこの怒りはやっぱり良くないです。
結局、私はカミングアウトできる人が羨ましい臆病者だ。
自分には、自己開示して傷付くかもしれないというリスクに耐えられない。
そして、今まで私を圧してきた目に見えないヤツらはなんだったんだよと思う。
教科書的には正しくないけれど、空気的には正しい的な奴らの存在はなんだったんだよ。
私はどうしたらよかったんだよ!!!!とまた怒り。

全方面にカミングアウトできる人への違和感が拭えない。
大事なんだけど、大事なんだけど…。
頭の中にぶわぁーーーっと今まで見聞きした偏見が広がる。
私がカミングアウトという行為をしたら精神的に死ぬな、と思う。

この感情はどういう名前があるんだろう。
スティグマ的な感じなんだけど。

教科書的な正しさと、実際にあるこの空気の正しさ、どっちを取ればいいんですか?というもやもやがずっとある。
教科書的な正しさが通用する時って、何らかの権力が働いている時だけだと思う。
その発言者への支持者が多いか、支持者は少ないけど逆らうとデメリットが大きいとか。
それ以外のなんの権力も働いていない人間が正しさを発言したところで、一気にネガティブな針が降ってくる。
そんな空気を知っている。
私は誰が発言したかが大事ではなくて、何を発言したかが大事であってほしいと思ってしまう。
それくらいには権力って苦手。

だからこそ私はどうしたらよかったんですか…。
この気持ち、成仏させたいなぁ。

そういえば、卒論で書いたテーマはその人の人生のテーマになるとかならないとか。
私は自己受容を研究テーマにしていました…。(涙)

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