山田洋次監督作品「こんにちは、母さん」

昔の下町風景

山田洋次監督、吉永小百合、大泉洋主演「こんにちは、母さん」を和歌山特別先行上映会で2023年8月23日ジストシネマ和歌山にて鑑賞した。

因みに主催はわかやま寅さん会・有志応援、協力:松竹株式会社/ジストシネマ和歌山/ちんどん通信社/麦の郷印刷/山の木家具となっている。

作品は寅さんの流れを汲み、吉永小百合主演の母シリーズ「母べえ」、「母と暮らせば」、そして今回の「こんにちは、母さん」となるそうだが、確かに今回の「こんにちは、母さん」は前2作とは感触が大分異なる。

しかし、本作は昭和6年生まれの山田洋次監督の思いが濃厚に詰まっている。

ストーリーの全編に取りあげられているのは、今日の日本が解決すべき根本的課題ばかりだ。

ここで現代日本の政治的貧困を嘆くばかりでは仕方あるまいが、あちこちの会社で見聞きするリストラの問題、非正規雇用という極悪制度導入の結果である非正規労働者たちの非人間的環境、延いては屋根の下に住むことさえ叶わぬホームレスの発生!

現在の日本には、まっとうな政治家は殆ど存在せず、或る首相経験者の「自助、共助、その次が公助」という言葉など自ら政治不存在を認める破廉恥な発言などが、その最たる証拠である。

政治家と称する権力に群がるやつばらは、利権探しに血眼となり、その甘い汁を吸い続けるために世襲や身代わりを立てるための汚い努力に力を注ぐのみで、後は無法無頼国家と名指しした国の脅威を煽り立てて市民たちの注意をそらすことに専念している。

さて、筆者の憤慨はさて置き、映画作品の方に戻ろう。

山田洋次作品の優れているところは、筆者が悲憤慷慨したと同じ内容を、庶民感覚で涙と笑いの中に巧みに表現しているところだろう。

かく申す筆者は年齢的に山田洋次監督とは非常に近い。

山田洋次監督の生年月日は1931年9月13日とのことだが、筆者のそれは1933年7月31日だから、8月24日現在の時点で言えば誕生日前の山田監督と過ぎた筆者の誕生日の故で91歳と90歳の1歳違いとなっているが、実際には、山田監督は筆者より略2歳年長の先輩である。

舞台に登壇された山田監督は姿勢も良く、足取りもそれなりに確りされていたようだが、90歳の筆者は最近はショッピングカートを利用しないとなかなか安定して背筋を伸ばすことが出来ない。

こういう状態の観客からすると、あの作品の中には(おそらく山田監督ご自身の)そして筆者にとっては、はっきりと「現在の自分の”思い”」が込められていると感じた。

それは吉永小百合演じる母さんが「いつか自分の身体動かなくなって、他人様のお世話になるときが来るという恐怖云々」というセリフがあった、と記憶するのだが、筆者も今身に沁みて、それを感じて居るところだ。

そういう、本来とても深刻にならざるを得ない問題を寅さん映画およびその流れを汲む山田作品ではサラッと笑いと涙に切換えるところが実に絶妙だ。

大泉洋の好演もあるが、田中泯や寺田聡のベテランの演技は安心して楽しめる。

吉永小百合母さんの恋愛、失恋も或る意味で寅さん映画の流れ通り、ということなのだろうが、ワタクシ的には大泉息子の心配とは真逆に全てを擲(なげう)って母さんも北海道へ同行するという筋も大変興味があるのだが、それでは山田洋次作品とはならないのだろう。

だから、あれは「冗談」で良いのだろう。その結果、母さんらしい暮らしがこの下町で、これからも続いて行くワケだから。

また、生活保護を受けないとの意地を主張しながら、空き缶を大量に、不安定な状態で運ぶ田中泯の身体表現は、何時もながらではあるが、筆者の現在の身体感覚からして、将に現実そのものである。

また、橋の上で3月10日の東京大空襲を、身振り手振りを交えて語る彼の姿は、同じように下町に住み、あの大空襲を体験して生き残った、筆者と同年の、しかし今は無き詩人のI君の姿を彷彿とさせる。

配られたパンフレット中の山田監督の「とくに中高年、シニアの皆さんに興味がわく、そんな映画です。」とあるが、

下町育ちではなく、東京大空襲時は山形県に学童集団疎開していた、東京生まれ東京育ちの筆者には、本当に身につまされる映画であったことを記して置きたいと思う。

因みに、この映画の一般公開は2023年9月1日とのこと。

興味、関心のある方々は是非チェックしてみて頂きたい。


天国の様子


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