リアルと切り離して考えたい「note」というユートピア
私はnoteのアカウントをリアル世界の誰にも教えていない。
リアルでの付き合いの友人や、職場の人々、果ては実家の家族さえも知らない。
理由は2つある。
まず、リアル世界の人に教えたら、いよいよ本音を書ける場所が無くなると思ったから。
もう一つは、noteがあまりにも優しい世界すぎて、リアル世界の厳しい人々を介入させたくなかったからである。
自分の記事を否定されるかもしれないし、それ以上に私が良いと思っているnoter様やその記事を否定されることを恐れたのだ。例え1%でもその可能性があるなら排除したい。
人間は十人十色で多種多様の考え方があるから、それは仕方ないことかもしれない。しかしリアル世界には、心の中に留めておけば良い言葉をわざわざ口にしてしまう人間が多すぎる。
だから、今までも、そしてこれからも、誰にも言うつもりはない。
しかし、それを選択したと言うことは、私はリアル世界の人付き合いを優先しなければならないことを意味する。
仕事は当然だから良いとしても、プライベートの付き合いもなかなかに難しいし、言ってしまえば陳腐だ。
両親も兄妹も離れて久しいし、恋人なんて居たことがない。数少ない友人ですら腐れ縁になりつつある。というかコミュ障すぎて友人と上手く付き合うことが難しい。なかなかリアルの人間関係に快楽を見出すのは困難になっている。
先日UPした短編小説を執筆していた約2週間、ハッキリ言ってリアル世界は邪魔だった。
書きたい時に誰かと会わなければならない。
それでも隙を見てはスマホで執筆していたので、一度だけ小説の存在が友人にバレそうになった。
少し迷ったが、やはり誤魔化して隠し通した。
まだ途中なのに否定されたら完全に自信を失う。小説はnoter様の誰かに分かってもらえたらそれで良かったから、友人に言う必要は無かった。
なぜ人間は理不尽と無慈悲に満ちた陳腐な世界を優先しなければならないのか。
しかし、しかしだ。
皮肉にも、小説のネタやアイデアが何度も浮かんだのは、そんな陳腐な世界にいる間だったのだ。
PC画面と向き合っているよりも、本やネットからヒントを探している時よりも、創作とは全くかけ離れたことをしている時のほうが、ふと浮かんだりするのだ。
だから私は、今までも、そしてこれからも、ユートピアのnoteと、理不尽なリアル世界、その両方を大事にしていきたい。