見出し画像

心に響かないのは表面的な解釈しか出来ないから

 貴方の感動する物語が、ある人にとっては心に響かなかった。
 そんな経験は無いだろうか。

1.『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の話

 例えば先日金曜ロードショーで放送された『劇場版 ヴァイオレット・エヴァ―ガーデン』である。2020年9月に公開され、興行収入21.3億円は“深夜アニメの劇場版”というくくりの中では歴代7位の好記録となった(ちなみに上位6作品には鬼滅、呪術、ラブライブ、SAO、ガルパン、五等分という錚々たるコンテンツが並ぶので、7位がいかに凄いかが分かる)。

 劇場公開当時、私がTwitterに書いた感想はこちら。

 凄惨な事件とはもちろん、2019年7月の放火のことである。
 京アニと言えば作画や背景の美しさが特徴だが、本作はそれに加えて声優の演技も完璧すぎた。
 特に石川由依さん演じるヴァイオレットはとても難しいキャラで、当初(TVシリーズ時点)は感情を抑えクールに、でもギルベルト少佐への想いを叫ぶ時など感情を開放させる時は抑揚を少し付けるようにしていた。この時点で難しかったわけだが、劇場版ではそれに輪をかけて感情を完全開放させる号泣シーンがあり、そこの演技が絶妙すぎる。この瞬間の為にこれまでの演技は抑えめだったと思うとカタルシスが半端ない。

 作画や音楽、演技に関しては実際に映画を観た人の多くに共感してもらえたと思う。しかし、ストーリーは残念ながら賛否両論となっている。戦時中に離れ離れになってしまったヴァイオレットとギルベルト、双方の想い合いと、そこから生まれる結末が劇場版の軸になっているわけだが、2人の年齢差に突っ込む人が少なくないようで、「ギルベルトがロリコンで感情移入できない」という意見を度々見かける。確かに劇場版の時点でギルベルトは約34歳に対しヴァイオレットはまだ未成年。生き別れた戦時中まで遡ると彼女は10歳くらいである。その頃の想いを引き摺っているのだからロリコンだとか何とか……


 それを表面的な解釈と言うのである。


 綺麗な心で観ればヴァイオレットはもちろん、ギルベルトも「汚れなき純粋な心」を持っていることは読み取れるはずで、ロリコンだなんて微塵も思わないはずである。

 また、それを抜きにしても「私の心には響かなかった」という意見もヤフコメなどで見かける。ここまで素晴らしい物語でも万人受けはしない現実。金ローの視聴率も5.1%と厳しい結果となった。


2.『ヤマノススメ』あおい富士山リタイアの話

 もう一つ例を挙げると『ヤマノススメ』2期の「あおい富士山登頂リタイア」である。現在放送中の4期の2話でも総集編として放送されたので記憶に新しい人も多いと思う(※4期は1~4話が1~3期の総集編となっている)。

 登山初心者の雪村あおいが無謀にも富士山登頂に挑戦した話。心配する母親を説得し、入念な登山計画と万全な準備を整え、倉上ひなたを始めとする3人の仲間と5合目から吉田ルートで登山、頂上で御来光を拝もうとした。しかし、高山病による頭痛で動けなくなり8合目で無念のリタイア。

(8合目の山小屋にて)
あおい「今何時ですか?」

かえで「そろそろ(深夜)2時かな」

あおい「2時……行きましょう。急がないと、頂上で御来光、間に合わない……」

かえで「あおいちゃん、落ち着いて」

あおい「行かなきゃ……」

かえで「あおいちゃん!」

あおい「だってだって、ずっとここまで頑張って来たのに!」

かえで「無理してこれ以上行って、帰れなくなったらどうするの? 山は逃げない。何回だってチャレンジできるんだから、焦らないで」

2期10話より

 太字の叫んだ台詞に想いの全てが詰まっている。8合目から見上げる天の川は「想像していたのと違って何だかシミみたい」だった。頂上の焼き印を押せず余白のある金剛杖。嫌な顔せず下山に付き合ってくれるかえで。戻ってきた5合目、電話越しに「頑張ったんでしょ? 身体は大丈夫?」と励ます母親。全てのシーンが心に染みる。

 個人的に不思議な現象が起きて、2期放送時の2014年に観た時は「初心者に富士山は難しいんだなー」という表面的な解釈しか出来ていなかった私だが、8年の時を経た今年、4期での総集編で同じシーンを観たら不覚にも泣いてしまったのである。この8年で“報われない努力”を嫌と言うほど経験してきた私は、あおいの気持ちを深く考えられるようになり、彼女に自分を重ね合わせ悲しくなってしまったのだ。

 逆を言えば、これまでの人生で挫折を味わうことなく努力が報われてきた人にとっては、あまり心に響かないとも言える。そういう人は表面的な解釈しか出来ず「単純でありきたりな話」だと思うのだろう。『ヤマノススメ』は異例の4期まで制作されるほどオタク界隈には大人気でありながら一般人には万人受けしていないのは、心に響くか否かが観る人のバックボーンに委ねられる部分が大きいからだと思う(『すずめの戸締まり』が賛否両論になっているのも同じ理由なのだろう)。


 ***


 まとめると、誰もが良い話を素直に良いと思えることが理想である。

 ただそれは絶対に不可能で、それが出来ない人も一定数居ることも理解しなければならない。

 人間って難しい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?