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死とは

古の昔からたくさんの人が考えてきたテーマについて、どうして考えたくなったのかと申しますと、NHKドラマ「お別れホスピタル」を見たからです。
原作コミックを、13話までウェブで無料公開していたので、ひとまず無料のところまで読みました。

療養病棟に勤務する、ナースの日常を描いた物語。強烈なキャラクターの患者が次々に登場する。
この病棟に入院した人たちは、静かに死を待つ人たち。回復して退院していくことはほぼない。
そんな人たちと向き合う日々は、どんな感じなのだろう。
人間いつかは誰でも死ぬのだけれど、それがそう遠くないうちに訪れることが決まっている人たちとふれあうのは、つらいのだろうか。

主人公を含め、ナースたちやスタッフたちは、目の前の患者さんのために必死で働く。
けれど、あっという間に訪れる患者の死。
自殺してしまう患者さえいる。
そんなときはきっと、無力感、無情感を感じるだろうと思う。

死とは。
訪れる瞬間までは、その人のものだけれど、訪れたそのときから、その死は周りの人たちのものになると、私は思う。
死んだら終わり、とは本当にそう。
生命活動を停止した肉体を前に、周囲の人は何を思うのか。何をするのか。

そう思えば、死はあまり怖くない……かもしれない。
訪れた瞬間に、自分の死は、自分の手を離れていくのだ。

私は、死が怖いのではない。
死へ向かう苦しみが怖い。
本当の「死ぬほどの苦しみ」に、耐えられないから死ぬわけで。苦しいのが嫌なのだ。

眠っている間に死にたいと思うけれど、もしも自分が病気になり、死を待つばかりの身になったら、安楽死を望むだろうか?(日本でできるようになればの話ね)
大切な、大好きな人たちとの別れの瞬間を自分で決めることが、私にできるだろうか。
すごく苦しかったらそうするかもね……

死について考えると、暗闇ばかりで何もない。
だから、最終的に人心を救うのは宗教だと思う。
祈ることで少しでも、気持ちを安らかにするしかない。

ドナー登録をしておくのもいいかもしれない。
自分の死が、誰かの生に直結するのならば、こんなに素晴らしいことはないと思う。
だったら、少しでも健康な臓器を残してあげるためにも、まだ見ぬ誰かのために、健康でいなくてはならないと思える。
たどりついたぞ。

死を思うとき、それは、周囲の人の生を思うときだ。
大自然の中で野生として生きているなら、自分の肉体がきっと、動物や虫たちの命に繋がる。
未来のためにいつか、私は死ぬだろう。

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