153.萌文化

紅白の国で萌文化がある。
モーセの話に。柴がもえるはなしがある。
日本の国旗にかんして、ピンクのハートを比較したときには何かしら不謹慎かなあといったセンスとかあったりもするけれど。
こうしたことから、場所を選ぶとかのはなしにもなる。日常的にはポップカルチャしてる現場とかで、様々なハートも描けることだし。
皇室や王室のはなしとかも書いたことなかったと思うが、なんか自分が政治してるみたいになっちゃうし、政治家とかほかにも、「推し」を語れない場面が多様性に満ちている。

あきらめかたをあらゆる訓練をしている私としては、どのあきらめかたで何を選ぼうかなあとかあるものの、著名人とかでも、お互いが不安定になる環境とかになると活動的に意味なくなったりするから、逆にそういったことでファンでいたほうが楽なファン心理を、ポッポッカルチャではあるようだなあとしる。
自分のファンがたとえばいたとして、自分がその気になって相手が「個人的な関係には興味ないので」みたいな。もっともなことではある。
お店とかでもそうだが、お店っていっても水商売とかでもなくてね。

やや話飛んだ。
前回のつづき。
まとめからだその前に。150まで書き執筆中断で新規で151から書いている。
その前の150の社会学文書があって不可逆性のテーマで書くとして前回のをふりかえると。<被>というケース。逆に影響させずに自分は影響を受け取るという意味合いでの不可逆性。
、、すっきりしない。次回にするか

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