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エッセイのようなもの︰「3・11東日本大震災と誕生日そして福島旅行」


3月11日は
東日本大震災があった日です。

それと同時に、私の誕生日なのですね。


東日本大震災が起きた時間
私は田んぼのあぜ道を散歩
していました。

一瞬ふらついたのですが
まわりは田んぼで何も無く
ほとんど地震の影響は
感じられませんでした。

家に帰りつくと、妻が
真っ青になって説明を始めました。

家具がづれて、食器が棚の
中で散乱していました。

幸い、妻に怪我はありませんでした。

それからは、毎日テレビで
とびこんでくる映像は
悲惨な現場と津波の恐怖。

停電と断水の繰り返し。


その後、被災地から毛呂山町に避難して来られるかたが
多数あり、私達のご近所にも
1家族来られました。


震災の影響がある程度落ち着いた時点で、短歌会では
恐ろしい津波の歌ばかりでした。

その中で、ちょっと目を引く
歌がありました。
被災地でも列を成して救援の食事を待つ。
歌には著作権があり公表出来ませんが、その女性は、広報誌に応募され、入賞されました。

私は、原発事故での自衛隊の活躍を詠みました。


日の本の

危機に集いし

もののふが

決死覚悟の

救助活動



その時は意味が通じたのですが、後年になり、詠み返してみると、さっぱりイミフです。

ここで少し詠み変えてみます。

自衛隊

3・11の

原発の

事故から守る

必死の活動




私は、独身時代、
友人と、スズキアルトで
初ドライブしたのが
福島でした。


後年になり
義父の運転で、義姉と私達4人で、福島に住んでいた義姉の長男一家に向きドライブしました。

その時の写真です。

田植え風景
背景にツツジの花が
咲いています。
田植えの時期に埼玉では
ツツジは咲きません。
これは、福島の
冷涼な気候の
あらわれです。


その約1年後。
東日本大震災がおこりました。

義姉の長男一家は、短期出張中だったので、旅行から半年後には、東京都にもどったので、震災の被害は免れました。


私は、福島と縁が深いようです。


その後の復興支援事業では
ささやかながら、寄付させていただきました。




         終わり

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