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涙もろくなってしまった

 ここ数年、年を重ねるにつれて、涙腺が緩くなってしまったように思う。元々泣き虫な方ではあって、何かと泣くことは多かったのだが、そうではなく感動系の涙である。通勤途中にサブスクから落とした映画のクライマックスを見ていると、思わず涙ぐんでしまうこともある。電車の中で泣くな、不審者だぞ。

 その分、家で中途半端に残ってしまった映画の終盤を見終えてしまおうとすると、そのまま恥も外聞もなく泣いてしまうことが多い。声をあげて泣くことはないが、それでも涙ダダ漏れである。

 思えば、昔は映画は家族で一緒に観ることが多かったので、親の手前泣く訳にはいかなかった。余程のことがない限り泣かないように努めていた。ただ、その分、キャパシティを超える感動を叩きつけられるとオーバーヒートしてしまう。

 かつて親が観たいからと付き合いで『トイ・ストーリー3』を観に行った時は酷かった。クライマックスでアンディがおもちゃを一つ一つ渡していくシーンは、私自身おもちゃを捨てるのに苦労したこともあって、嗚咽を堪えきれなかった。隣にいる親にバレないようにするのが大変で、終わった後すぐにトイレの個室に駆け込んだのを覚えている。おそらく親にはバレていた。

 それに限らず、ソシャゲのストーリーだったり、小説だったり、些細なことで泣いてしまう。感受性が高いと言えば聞こえがいいが、果たしてそれでいいものか。20代も後半に差し掛かった身の上である以上、ことあるごとに泣いているのは如何なものか。涙腺崩壊とはネット上ではよく聞く言葉だが、実際にやっているようでは世話がない。

 ただ、涙を流すという行為には、ストレス解消の効果があるとエシディシも言っていたし、実際泣き終えた後は確かに「スーっと」する。涙を流すほどに、作品に入り込んで楽しめているという証左であるとも言える。創作物を楽しむという点においては、悪いことではない、と思いたい。

 それでも、やはり泣いてしまうというのはどこかみっともなさを感じている。振り返ってみると、父が泣いているところを見たことがないので、おそらくそれが原因だろうか。昔からの男子強くあれという印象操作もあるのか、男たるもの泣くべからずというイメージが拭えない。

 別に男が泣いたっていいじゃないか、泣きたい時に泣けば良いとどこかの誰かも言っていた人がいたような気もする。そういう思いもあるのだが、やはりどこか恥ずかしい。今は一人でいる時に泣いているので問題ないが、いつか人前で泣いてしまうのではないかと少し怖い気分になってしまう。

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