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短歌の記憶

短歌を作りはじめてから、まだ二年ちょっとにすぎないけれど、思えば、子どもの頃から、いろいろな場面で短歌の世界に触れてきたような気がします。

小学生のころ、万葉集の和歌から好きな一首を選んで鑑賞する、という授業がありました。
私が選んだのは、大伴旅人。

我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心咽せつつ涙し流る

大伴旅人

なぜこの歌を選んだのかは、謎です。
亡き妻への変わらぬ愛をうたっているところが素敵と思ったのか。単純に「旅人」という名前がかっこいい、というのもあったような気がします。

当時の私は、鑑賞ノートに、歌と現代語訳と、梅の下に佇む貴族の絵を描きました。
下手なのになぜ絵を描いたのか、子ども心にも情景の浮かぶ名歌と思ったのかもしれません。

大伴旅人が大伴家持の父であると知ったのは大人になってから、というか、富山に転勤になって大伴家持について調べたときでした。
歌才というのは受け継がれるものなのか、うらやましい、と思いつつ、凡人は凡人らしく、地道に詠んでいきたいと思います。

最近、歌が作れず、投稿が採用されることもありません。
でも、あせることはないはず。
生きている限り、いつでもどこでも、歌は詠めるのだから。


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