大人のアジフライ

気の重い仕事を控えた昼休み、決まって思い出す歌がある。

アジフライ箸で小さく切り分けて午後に重たき一仕事あり

田村元「昼の月」

この感じ、分かるなあ。
私の仕事は内勤で、社内に食堂はないし、近くに食べに行けるようなお店もないから、お昼にアジフライを食べたことはないけれど。経験したことがないのに共感するっていうのも、不思議な感じだ。

お昼の時間が少しでも長く続けばいいなあとか、次の仕事に行きたくないなあとか、そんな気持ちが、アジをバラバラにするのだろうか。
あえてバラバラにしているわけではなくて、気がついたらバラバラ…という感じかなあと、勝手に想像する。

お昼ごはんではないけれど、仕事で気の重い日、朝食の煮卵をふと見たら、お皿の中で賽の目のようになっていたことがあった。
細かく散った黄身が無残。
なんだか、自分自身のようだ。

仕事がしんどいとか、生きるのがつらいとか、そんな思いをそのまま歌にすると、ただ辛いだけの歌になる。
少しでも芸術の域に近づけるように、こねこねと練りたい。
ひとさじのユーモアとか、豆電球ほどの明るさとか、何かしら、希望がにじみ出るような歌にしたい。

難しい。
でも、今年も来年も、歌い続けよう。

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