少しずつ、降りてゆく
中島義道氏の、「人生を〈半分〉降りる」を読んだ。
たまたま本屋さんに平積みされているのを見かけて、タイトルに惹かれて衝動買い。
古典からの引用がふんだんにあり、とても面白い。
日本の兼好法師、中国の陶淵明、西洋のルソーも、40歳ころの時期を、隠遁の基準としているようだ。
ちょうど、ココロのスキマができる時期なのかもしれない。
ココロのスキマといえば、喪黒福造。
笑ゥせぇるすまんの名刺には、「ココロのスキマ、お埋めします」と書いてある。
絶妙なキャッチコピー。
若い頃は、スキがあるから悪魔につけこまれて破滅する話、ととらえていた。
でも、ココロのスキマって、そうじゃない。
むなしさ、ということかもしれない。
今やっていること、これまでやってきたこと、将来のこと、自分にまつわるすべてが、無意味に思える。
むなしい、を辞書で引く。
からっぽ、むだ、はかない、といった語釈の最後に、死ぬ、とある。
むなしさを感じるのは、死に近づいた、ということなのかもしれない。
人生を、すべて降りるわけにはいかない。
「半分」降りることさえ、社会人には至難の業だ。
でも、少しずつ降りていくことなら、できるかも。
小さなことから、始めてみようかな。
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