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【自伝】ああ素晴らしきネタ人生4~中学校~


1:はじめに

みなさんこんにちは。リュウノスケのしもべです。
いつもご覧になっていただき誠にありがとうございます。
まだ過去の記事をご覧になっていない方はぜひご覧ください。
カンパ制とし、記事自体は2024年1月時点では無料となっております。
有料記事を書く場合はその旨お知らせしますので、ぜひご購入いただければ嬉しいです。
今回お伝えしたい点は

  • 勉強がうまくいくと何とかなる

  • 辛いときは逃げていい

以上の2点になります。
それでは中学生編をご覧ください。

2:中学校に入って

2-1:中学校は意外と楽しかった

中学校に入るとクラス分けが入り、他の小学校と2校合同になりました。
最初はドキドキしてました。うまくいくものなのかという不安です。
やはり溶け込めず、休み時間は校内をウロウロと散歩していました。
一つ上の学年が筋金入りのワルの集まりだということで、下級生である自分たちは真面目な人たちと上級生とつるむ人たちで分かれていました。
どこ行っても侮辱など受けるんだろうという憂鬱な気持ちはやはり中学校でも一緒でした。
小学校がダメなら中学校で、という一変する状況は環境の変化だけでは何ともなりません。
人から馬鹿にされることが多く、自分はいちいち怒っていましたが、だんだんと怒る気持ちもなくなりました。
しかし、中学校から通いだした英語塾と北海道では当時人気だった北大学力増進会に通いだしたことから勉強がうまくいくようになります。
勉強がうまくいきだすとそれなりにクラスメートから評価されるようになります。
勉強に励んでいるうちはストレスもなくなっていくことが分かるようになり、それなりに充実するようになります。

2-2:体臭がくさいというクレームが続く

小学校4年生~6年生編でも書きましたが、臭いという理由で侮辱などは続きます。
真性包茎は高校2年生で解消されますが、中学生のうちは「臭い」侮辱と戦うことになります。
真性包茎もそうですが太りすぎも体臭を強くさせる要因になります。
臭いに気を付けだす年ごろではありましたが、真性包茎は何ともなりません。
お風呂に入っていても真性包茎は皮の裏まで洗えないので垢は取れません。
男の子特有の性欲が増しだすころが中学生でした。
確かにしっかり洗うことが出来ないのでクレームは来ることは理解します。
しかし、子供の直接的な言い回しは自分の心を深く傷つけます。
当時の局部は直接お湯をかけるととても痛く、真性包茎を治すにはとても苦労しました。
今となってはもう少し簡単な方法がネットから拾えたと思うので、情報技術はとてもありがたいものなんだなと感じます。グーグル先生は偉大なのです。

2-3:馬鹿にされることを見返すくらい勉強をする

中学校の勉強は言うほど難しいわけではなく、市販の問題集を解きこむことで成績はそこそこ向上します。
学校でうまくいかないことを家のゲームと塾の勉強で逃げるようになりました。
勉強がうまくいくとテストで良い点も取れだすようになり、点数が取れれば他人からクレームもあまり来なくなります。
その点がよく、塾の勉強をするようになります。
今思えば、ライブ授業よりビデオ講義を活用し、1.5倍速で講義を聞いてから復習に時間を充てるともっといい成績が取れるようになるだろうなという後悔があります。
今の学生はとてもうらやましいです。
今からやり直すのであれば東進などのビデオ講義で1.5倍速で回し、問題集にあたることを実施していたでしょう。

3:保健室登校に逃げる

3-1:心が荒むのと病む日々が訪れる

中学3年生になると受験勉強の毎日が訪れます。
それと同時に侮辱などと試験勉強のストレスが両方重なり、ついに心が折れるときが来ました。
我慢強い自分ですら心が折れたので、他の人ならもう取り返しがつかないことをしていたでしょう。
どうしたらいいのか分からず、保健室に逃げるようになります。
保健室は、他の保健室登校者と一緒にただまどろむ時間を過ごします。
やる気が出てから戻ることを繰り返していました。

3-2:「なぜ自分は生きているんだろう」

こんな嘆きが自分の中で出てくるようになります。
心が折れると本当につらくなります。
死んでしまいたい・消えてしまいたい
こう思う気持ちとは小学校から現在までずっと戦っています。
まぁ、人は簡単には死ねないです。
勇気が出なくなるもので…。

3-3:保健室通学経験者が思うこと

心が折れたら仕方がありません。
逃げてもいいと思っています。
何なら不登校でもよいと思っています。
心が折れたら治るのにはとても苦労します。
学校を変えることは容易ではありません。
仕事は転職をすぐできる時代になっています。
合う仕事・合う職場を探せばいいだけです。
しかし、高校生以下はどうでしょうか。
一旦入った学校を変えることはとても難しいです。
悩んでいる人がもしこのNoteを見ているなら、まずは嫌な学校から離れてみましょう。
離れたところで誰も責めません。
責めるとしたら学校の評価が下がることを恐れる教育関係者・日教組でしょう。
転校だったり、高校生なら高卒認定試験があります。
別の道に進むことは恥ずかしいことではありません。
堂々と自分が心地よく感じる道を進んでみましょう。
もちろん、本当は言うほどつらくないのにただ学校行きたくないだけで我儘言うことも考えられます。
信用できる第三者がいればアドバイスをもらうことも有用でしょう。
とにかく、無理はしないように。

4:中学校で受けた侮辱など

4-1:侮辱などってなんだったっけ?()

中学校で受けた侮辱など、はもうほとんど忘れました…。
今思い返せば大したことなかったんだろうなと思っています。
それでも一つ上の上級生は不良だらけだったので、結構脅されていたことは印象に残っています。
あと、他の学校もそこそこの不良で長崎屋のゲームセンターで脅されていたことも覚えています。
昭和末期から平成初期はまだまだヤンキーがモテた時代でした。
上記に書いた体臭のこととまた別の意味不明な恫喝は以下のものがありました。

4-2:筆記体を練習していると

英単語の書き取り練習を中一のときにしていました。
普通のアルファベットとは異なる、筆記体というものがありました。
これは楽しそうだ、ということで練習をしていました。
アルファベット筆記体を練習していると隣のクラスの女子がこう言ってきやがったのです。
筆記体なんか練習してんじゃねーよかっこつけんじゃねーデブ!
…別によくね?
あれは本当に意味が分かりませんでした。

4-3:塾でもいじめられていた

北大学力増進会に通っていた時のこと。
独り言が多かったのと思い出し笑いが多かった自分は当然、他校の人からさんざん侮辱など受けます。
張り出された座席表の自分の席には

  • デブ

  • 臭い

  • キモイ

  • 塾来るな

  • 家で勉強しろ

などと散々でした。
先生には「自分は来ちゃダメなんですか?」と聞いたこともありました。
侮辱など受けた人の気持ちになったことあるのか?と聞きたくなります。

5:中学校を思い返してみて

以上、中学校のことを書きました。
楽しさ半分・ふざけんな半分の毎日だったかと思います。
別件ですけど、親に連れられてパチンコ屋さんで遊んでいたことも多かったです。平成初期はまだ警察もあまりうるさくなかった時代だったと記憶しています。皆さんはマネしないように。
お読みになっていただき誠にありがとうございます。
同じ悩みで苦しんでいる子供がいれば、何らかの参考になればうれしいです。

6:カンパのお願い

毎度恐縮ですが、カンパをお願いしております。

こちらから100円だけでも頂けるととてもうれしいです。
お気持ち程度で十分ですので、よろしければ課金をぽちっとお願いします!

それではまた次の記事でお会いしましょう!


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