一体何をしているのか。わからない。

どうしてこうなったのか。わからない。

何かあったわけじゃない。何もなかったわけでもない。
日々何かが響いてくるだけだ。頭に、身体に。

ドンドンと、ジンジンと、ガンガンと、ゴンゴンと、バンバンと、キンキンと、シンシンと。

徐々に噛み合わせが悪くなる。調和が乱れてくる。もともと調和なんてなかった気もするが。
時たま歯車が軋み、止まり、落ちる。その穴を埋めるためにギリギリと他の部分が詰めていく。
歪だ。

中身が歪だから、外見くらいは整わせようとする。かえって歪さが増す。汚い中身が外に反映されないストレスを抱える。
暴言を吐き、暴力を振るい、傍若無人に振る舞いたい中身と、きれいな言葉にきれいな所作、きれいな雰囲気を得ようとする外見。
落差で何かが出てしまいそうだ。

中身と外見が変わらない人もいないわけではないだろう。

最初にどちら側を思い浮かべたかで大体育ちがわかる。当然、私が最初に思い浮かべるのは中身も外見もクズなジジイかババアだ。
他者への配慮を便所に流した、自分が世界の中心で、他の人間らしきものを使用人か何かとしか思っていないどうしようもない汚物だ。
それはそれは余計なストレスを抱かずに生きられるだろう。孤独になって変なストレスを抱えるかもしれないが、そんなことは知らん。

中身も外見もきれいな人もいるにはいるだろう。上の汚物におよそ出会わない環境で育った人か、天性の才能を持つ人かのどちらかであることは確かだが、前者の方が多いだろう。
もっとも、汚れてないだけのものをきれいと呼んでいいのかには留保が必要かもしれないが。

大抵は中身と外見は異なる。キャラクターを作るとかいうのもそういうものだろう。思春期も過ぎたので、どれが本当の自分なんだとかで悩むのはバカらしいと思うが、落差をストレスに感じるのにはまだ共感できる。

歪さを許容し、前を向いていけるならそれはそれで素晴らしいことだと思うが、その悟りにはまだ至れない。


早く全人類が醜くても許される世の中になれば、鬱陶しいやつを片っ端から殴り、罵り、そのうち殺されてこの世界からオサラバできるのに。

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