神になりたい

神になりたい。全知全能の神に。この世界をつくりたもうた神に。

神を信じているか。と問うと日本では宗教勧誘に聞こえる。宗教勧誘かどうかはおいておいて、一応答えるとすると、信じてはいないが、積極的に不在を主張するわけではない、というものになるだろう。

神がいるならば、我が身を救うことまではせずとも、気まぐれに世界を滅ぼしてくれているはずである。さっさと滅びてくれ。
不在を主張しないのは、不在だとこのどうしようもない現実がどうにかなる可能性が一つ潰えるので、あえて不在を願うことのメリットがないからだ。

神が救済してくれないなら、自分が神になればいい。そうすれば、解き放たれる。
神になれば、一ヶ月くらいは生殺与奪を楽しめるし、いいことしかない。俗世に未練も特にない。積極的に死のうとは思わないが、事故等で死ぬ分には一向に構わない。むしろありがたいかもしれない。
仲の良い者が死ぬのは困る。傲慢だろうか。

神になれば何をしようか。生殺与奪をしばらく楽しみはするだろうが、すぐに飽きるだろう。それをしたところで神になった自分の利害には全く関係ない。
精神的満足を一定程度得られるかもしれないが、自分の関係のないところで他者が喜ぼうが悲しもうが、それは画面の中での出来事と変わらない。少なくとも間接的に利害が発生しなければ、関心は持ち続けられない。

そうはいっても、このまま留まるくらいなら、神になった方がましだ。

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