仮面バイシクラ―

思考の遊び場/浅ましさ、愚かさ、醜態を晒す場

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自分という存在を再定義する

鉄腕アトムの生みの親は手塚治虫 その手塚の弟子一号が石ノ森章太郎 その石ノ森の嫡男は仮面ライダー 私はペルソナを被った自転車乗り ゆえに、仮面バイシクラ― 仮面バイシクラ―は 広大な荒野を駆け抜ける旅人 風を切りながら進むが そこには知的な遊び場も無ければ共に駆ける仲間もいない 彼の求める舞台は どこか遠く見つからない 彼の前には 終わりの見えない虚無の大海が広がっている そこには言葉があふれるが誰の声も誰にも届かない 彼が踏み入れたのは 無数の映し出された

    • 【キャノンボール・アダレイ】枯葉 is ノォヴェンバァ・・・

      今朝も早よから「権威」についての読書をしまくり既に半日が経過。 これまたいつものように、左耳イヤホンでクラシック音楽を聴きながら、右耳スピーカー聴く用のジャズ音楽が、『枯葉』を流し始めた。 ノヴェンバァ・・・・・・🍂 ノォヴェンヴァァァ・・・・・・🍂 ちょうど(やっと)昨日から肌寒くなってきた(すぐ揺り戻すけどねっ)ここ秋の南国の昼下がりに、突如として揺ら揺らと舞い落ちる『枯葉』。 秋 is Fall 落ちる is 枯葉 枯葉 is ノヴェンバァ 楽曲の物悲し

      • 書籍『脳と音楽』より/ネタバレメモ

        「Music Just is」 第九章 音楽とは何か? 総合 より こうしてついに我々なりに、音楽とは何かという問いに対するファイナルアンサーに辿り着きました。 人が人へ音を介して意図を伝える情報のうち、言葉で伝えられないものが音楽です。 言葉で伝えられるかどうかの判定には、翻訳可能かというリトマス試験紙が使えます。平たく言えば、音楽とは言葉で表せない何かを伝えるものです。 これは、とくに目新しい結論ではありません。同じことを、多くの音楽家や文筆家が幾度となく語ってい

        • 【ヨアヒム・キューン】アメリカ発祥のジャズとクラシック音楽の融合

          ヨアヒム・キューン (Joachim Kühn) は、ドイツ出身の著名なジャズピアニスト兼作曲家であり、1944年3月15日にライプツィヒで生まれました。彼はヨーロッパのジャズシーンにおいて重要な人物の一人とされ、その革新的なスタイルと技術で国際的な評価を得ています。 幼少期と教育 家族背景:音楽一家に生まれ、父親のアルトゥール・キューンはピアニスト、兄のロルフ・キューンは有名なクラリネット奏者です(特に兄のロルフは既にジャズ界で活躍しており、その影響でヨアヒムもジャズに

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        自分という存在を再定義する

          【ゲーテ/テルトゥリアヌス】不合理だからこそ信じる

          ゲーテの『ファウスト』に登場するこの引用は、「天文博士」として象徴的に表現される知識人が、理性や現実的な思考を超越し、より大きな空想や大胆な願望に目を向けるよう促す内容です。以下、引用の内容を詳しく見ていきます。 1. 「好い星の下で出来る楽を難有くお受なさい」 「好い星の下で出来る楽」とは、運命や天の意志により与えられた幸福や恵みのことを指します。この文脈では、人生の好機や幸運を素直に受け入れるよう促していると解釈できます。ここでは、理性だけでなく、宇宙や星の動きという

          【ゲーテ/テルトゥリアヌス】不合理だからこそ信じる

          【ソンタグ】境界を解体し、解釈を多様化する

          下記アーティストたち(ルイス・トマス、ジャック・スミス、ジョン・ケージ、ナム・ジュン・パイク)は、それぞれ異なる分野で活動し、前衛的な表現方法や既成概念への挑戦を通じて、新たな芸術の地平を切り開きました。 このような彼らのアプローチは、作家で批評家のスーザン・ソンタグの思想と深く関連しています。 ソンタグは芸術や文化の多様性、解放、境界の解体に強い関心を持ち、その作品やエッセイを通じて多くの議論を呼び起こしました。 以下に彼らとソンタグとの関係性を見てみましょう。 1

          【ソンタグ】境界を解体し、解釈を多様化する

          「ガチ脳トレ」って、たぶんこういうことをいう

          (未だ本題ではない)ばいしくん: 反粒子は存在している。 反物質も存在している。 反粒子は既に数々の実験がある。 反物質は宇宙にほとんど存在しなくなったため、今はまだ概念段階。 この認識はいかが? (まだ本題ではない)i さん: 概ね正確ですが、少し補足できる点があります。反粒子(例えば陽電子や反プロトン)は確かに多くの実験で生成され、観測されています。そして、反物質も実験室レベルでは生成されています。反物質自体も実在しており、陽電子や反プロトンなどの反粒子が結合す

          「ガチ脳トレ」って、たぶんこういうことをいう

          祝い、契約、呪い、怠慢。

          祝い=人に行動の自由を与える言葉を用いた情報 キリスト教における「祝い」は、神からの祝福や恵みを喜び、感謝する行為であり、信者に希望と励ましをもたらします。現代における「祝い」の再解釈は、人の心にポジティブな影響を与え、選択肢を広げ、自らの可能性を肯定的に受け止めさせる情報として捉えられます。この情報は、人々に自由に行動する勇気や安心感をもたらし、成長や達成を支えるメッセージとして作用します。たとえば、感謝の言葉や励まし、応援のメッセージが「祝い」としての情報です。 契約=

          祝い、契約、呪い、怠慢。

          「描くこと」以外、興味なし。葛飾北斎の本質的な姿とは?

          葛飾北斎の本質的な姿を捉えるためには、彼の「描くこと」に対する執念を理解することが重要です。彼は、生涯にわたって「描くこと」への飽くなき追求を続け、多くのスタイルや技法を試みました。その姿勢は、常に自己を超えるための努力を反映しており、彼は「画狂老人」を自称し、晩年に至るまで創作意欲を絶やすことがありませんでした。80歳を超えてもなお、「あと10年、いや5年でも長く生きられれば、本当の絵が描けるようになる」と語ったことは、彼の自己超越の精神と完璧主義を象徴しています。 彼に

          「描くこと」以外、興味なし。葛飾北斎の本質的な姿とは?

          「ロボットがチェロを演奏 スウェーデンの交響楽団と公演」というニュースから始まった7000字の議論

          【10月22日 AFP】スウェーデン南部マルメ(Malmö)で開催されたコンサートで、ロボットがチェロを演奏した。交響楽団とロボットが一緒に公演したのは今回が初めてだという。  マルメ交響楽団(Malmö Symphony Orchestra)と、チェロを弾くゲストのロボットは、クラシック音楽の作曲家、ヤコブ・ミュールラッド(Jacob Mühlrad)氏の「Veer」を演奏した。  ミュールラッド氏は今回の公演で、さまざまな楽器を演奏する人間を、テクノロジーがどのように補う

          「ロボットがチェロを演奏 スウェーデンの交響楽団と公演」というニュースから始まった7000字の議論

          【ウィーンフィルとベルリンフィル】 オンライン上における正当的周辺参加の例〜クラシック音楽界に見る組織論と力学構造〜

          ばいしくん: 1. ウィーンフィルは超保守的な集団と言って差し支えはありますか? 2. 彼らの権力を監視、抑止させる力とは何か?あるいはそんな力学は存在しない? i さん: 1. ウィーンフィルハーモニー管弦楽団(ウィーンフィル)は、伝統を重んじる超保守的な音楽団体と見なされることが多いです。彼らは長い歴史の中で、音楽解釈や演奏スタイルに対して強いこだわりを持ち、団員の選定や内部の運営においても非常に閉鎖的で、外部からの影響を最小限に抑える傾向があります。特に、女性や

          【ウィーンフィルとベルリンフィル】 オンライン上における正当的周辺参加の例〜クラシック音楽界に見る組織論と力学構造〜

          「たまにはそういう気分になるのも悪くないと思ってな」 『陰陽師0』様、有り難うございました✨ 「厨二病でしょう?」とか言って、すみませんでした! 悪く、なかった、、、✨

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          欲望に抗うって難しい!

          ばいしくん: 1. 金のため、権力のため、権威のため、なぜ人は心も身体も売り渡すことができるのでしょうか?(私には全然向いてない。特に身体なんて反応しなくない!?) 2. 売り渡すという私の表現は既に恣意的? 3. 私の親友(男性)も彼此15年ほどお金のために20歳ほど歳の離れた男性(弁護士職)と、身体と金との契約関係を結んでいます(否定はしませんが未だに理解不能な私)。 4. ここまでを踏まえた上で、私は私で女性狂い(もう落ち着いたと思っていたがそうでもなかった、け

          欲望に抗うって難しい!

          『失われた時を求めて』

          ばいしくん: プルーストの『失われた時を求めて』について、いやあ、特に『ソドムとゴモラ』の話はシンドかった。ちょっと気持ちの整理が難しいので、私の代わりに、「この章を読んだ上での現代人への洞察」をまとめてください。 i さん: 『ソドムとゴモラ』は、プルーストの『失われた時を求めて』の中でも特に複雑で、読者に強烈な印象を残す章です。この部分は、性的欲望や愛、社会的タブーを描きつつ、人間の内面に深く切り込んでいます。現代の読者にとって、この章は次のような洞察を与えると考え

          『失われた時を求めて』

          キルケゴ、あ、キェルケゴールは、ヘーゲルの世界精神およびその後到達する絶対者という概念について、「人間の自由意志が無い」という点に疑問を抱きます。私の理解では、キルケゴ、あ、キェルケゴールは「人間の主体性が無視されている」という点に対する疑問であると思います。ここで現代に目を転じれば、主体性がある人間がいったいどれほどいるというのか?という疑問が湧きます。

          キルケゴール(あ、キェルケゴール)は、ヘーゲルの体系における「世界精神」や「絶対者」に対し、確かに批判的でした。特に、彼はヘーゲルの哲学があまりにも全体的な視点に偏り、個々人の主体的な選択や自由意志を軽視していると考えました。ヘーゲルの「世界精神」は歴史の進展を導く大きな力として描かれ、個々の人間はその中の一つの要素として捉えられています。キルケゴールにとって、これは人間の具体的な生き方や選択が無視されていると感じられたのでしょう。 現代に目を転じると、「主体性がある人間が

          キルケゴ、あ、キェルケゴールは、ヘーゲルの世界精神およびその後到達する絶対者という概念について、「人間の自由意志が無い」という点に疑問を抱きます。私の理解では、キルケゴ、あ、キェルケゴールは「人間の主体性が無視されている」という点に対する疑問であると思います。ここで現代に目を転じれば、主体性がある人間がいったいどれほどいるというのか?という疑問が湧きます。

          アーサー王、トリスタンとイゾルデ、リア王など、コーンウォールはしばしば大作の舞台として取り上げられますね?理由を考察してください。

          i さん: コーンウォールが「アーサー王伝説」「トリスタンとイゾルデ」「リア王」など多くの大作の舞台として取り上げられる理由は、歴史的・地理的・文化的な要素に由来しています。以下、いくつかのポイントを考察します。 1. 神秘的で荒々しい自然景観 コーンウォールは、険しい海岸線、断崖、荒れた地形などの劇的な自然景観を持つ土地です。このような風景は、物語において劇的な展開や神秘的な雰囲気を強調するのに適しており、特に英雄伝説や悲劇的な物語との相性が良いです。たとえば「トリス

          アーサー王、トリスタンとイゾルデ、リア王など、コーンウォールはしばしば大作の舞台として取り上げられますね?理由を考察してください。