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そこはミラクル貸農園 最終話 ナスカの地上絵

最終話 ナスカの地上絵

 皆の予想どうり、梅雨に入ると貸農園はまるで水田状態で、かろうじて畝の頭が顔をだしている。「もう稲でも植えようか」というのが、貸農園の挨拶言葉になっている。でも、着実に夏は近づいており、農園の周りには、小ぶりのひまわりが列をなして咲き始めた。このひまわり、農作業の暇にあかして、夫と二人で植えていた種が育ったものである。そこだけ切り取れば、なかなかフォトジェニックな風景となっている。

 そんな畑に、突然、水路が現れた。岡じいの畑の周辺に、幅3㎝ほどの細い線が描かれており、下の水田につながる排水溝まで続いている。その次の週になると、細い線は周囲の畑の畔にもつながっており、まるでナスカの地上絵のようである。
 岡じいにこれは何かと尋ねると、「朝来たら、こうなってた。わしの畑が水没しているのを見かねた管理人がやってくれたのかねえ」と首をかしげている。でも、一番奥にある私の畑には、ナスカの地上絵は描かれていない。仕方ないので、三角錐を手に取り、下の排水溝まで50メートル以上、溝を掘った。それをみていた、反対側の奥の畑の持ち主も水路を堀りはじめる。しかし、高低差がないので、水が水路を伝って排水されることはなく、畑中に張り巡らされた線に水が溜まっている。
 そこへ管理人が登場し、あっけにとられた顔で、畑中を歩き回り始めた。水路を作ったのは、管理人ではなかったようである。
「皆さん、これは意味がありません。他の人の畑に水が行ってしまうし、通路に溝があると困るので、すべて埋めてください!」
ということで、畑の地上絵は、足で踏み固められて消えることとなった。


梅雨があけると、猛暑が続く。近年の夏のしんどさは半端ない。畑を訪れる人の数もめっきりと少ない。一人で雑草抜きの作業をしていると、見習い管理人がやってきて、挨拶をしてきた。この見習いさん、とにかくよく喋る。無口な管理人とまったく対照的である。かれこれ1時間以上もおしゃべりを聞かされていた。
「いやー、この畑、本当に凄いですよ。
水が溜まる問題を何とかしなくてはいけないと頭を抱えていたら、なんと突然水路ができていたんですよ。
 さらにね、インスタグラムにあげるために、”畑のまわりにひまわりを植えて写真を撮れ”って本部から指令がきていたんだけど、ひまわりがなんと植えてもいないのに咲いていたんですよ。
本当に、次から次にミラクルが起きるんです~~♪♪」

純粋な見習いさんは、靴屋の小人のようなミラクルが本当に起きるのだと心から信じている。けれど、ミラクルには種も仕掛けもある。どうやら、水路はヒッピーさんが最初に掘ったようだ。自分の畑ではなく、岡じいの畑に掘るものだから、誰が何のために掘ったのかしばらくわからなかったのだ。帰りの車のなかで、こみあげてくる笑いがおさまらない。当分、見習いさんには真実をつげないでおこう。


エピローグ

秋を過ぎると、ヒッピーさんの姿を見かけなくなってしまった。その数か月後に、他の人から辞めたみたいだと聞く。冬になると、今度は毎日来ていた岡じいを見かけなくなった。いつも丁寧に雑草が刈られ、管理されていた畑が荒れている。貸農園の仲間は、名前も職業も年齢も知らない。会話はもっぱら、畑の野菜に関することばかりだ。そんな匿名かつ適度な距離の人間関係は仕事場とは違う解放感があって、とても心地がよい。一方で、連絡先も知らないから、見かけなくなるとそこで関係は終わってしまう、というはかなさもある。岡じいが生きているのか、死んでるのかすらわからないのだ。寒くて静かな畑に行くたびに、一抹の寂しさを感じていた。

そんなある日、農園にいくと、岡じいの畑で、かがんで作業している人がいる。復活したのである。声をかけると、「おお、ひさしぶりじゃなあ~」と答える。コロナに罹ったり、転んで前歯を折ったりと、散々な日々を過ごしていたそうだ。満面の笑顔だけれども、前歯に隙間が空いて、話し方が少しゆっくりになっている。でも、生きていてくれてよかった。

別の日のこと、畑から車で帰る途中、旧街道を歩く長身の男性の姿が目に留まった。ヒッピーさんである。近所に住んでいるとは聞いていたけれども、虫取り網と虫かごをもって、すたすたと歩いている。まったく変わっていない様子に、ほっと一安心。
”ヒッピーさん、またあちこちでミラクルを起こしてくれ”、そう心の中で祈りつつ、アクセルを踏み彼を追い越した。



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