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父親のこと1

私の父親は、一昨年認知症を患った末、老衰で八十七歳で亡くなりました。

私の父親の最初の記憶は、私が多分、まだ幼稚園に入る前のこと。
居間で、父親がイライラと行ったり来たりしていました。
私はびくびくしながら部屋の隅でその様子をうかがっていたように思います。
父親が熱を出して、母が往診を頼みに出かけて行ったと聞きました。

2つ目の記憶は、私が幼稚園の頃、床屋さんごっこのつもりで鋏を持っていた私を見て、危ないと思った父親が怒鳴った瞬間、私は気を失ったという情けないもの。

私の父親は、いわゆる成功者の子供で末っ子で、兄弟それぞれに一人ずつ婆やが付いていたと自慢気に話していたのを何度も聞いたことがあります。
お金に不自由したことはなく、甘やかされて育ったようです。
だからか、自分はほかの人間とは違う、他人より優れている、と思っている節がありました。
自分は絶対に正しい、自分はチヤホヤされて当然、そう思っているような人間が私の父親でした。

父親の父親、私の祖父は成功者でしたが、私の父親はただの人でした。
弁護士になると、大学卒業後も司法試験の勉強をしていたそうですが、30歳になっても合格できなかったため、コネを使って役所に潜り込ませてもらったそうです。

家の中では独裁者でした。
少しでも気に入らないことがあると激しい言葉で怒鳴り散らす。
何でもお膳立てしておいてもらわないと気に食わない。
例えばご飯の時、お箸を出しておくのですが、つい忘れてしまったら、箸立てが目の前にあっても怒り狂う。
家族皆が父親の顔色を窺って暮らす家族でした。

また、楽しいはずの家族のご飯の時間も、ニュースを見ながら怒鳴り声を上げて、「そんな奴は殺せ!」などの激しい言葉を使っていました。
「2頭の牛に頭と足を両側から引っ張って引き裂け!そういう死刑のやり方が中国にはあるんだ!」
こんな言葉を日常的に聞いて私たちは過ごしていました。


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