明治東亰恋伽(試し読み10)
そう説明しながらチャーリーが指さしたのは、ピンストライプのスーツを来た青年だった。
スマートな長身で、顔立ちは凛々しく、それでいて人目を惹く華やかさがある。その快活な笑顔と色香を漂わせる目もとに、ついつい芽衣も視線を奪われてしまった。
「おいおい、押すんじゃねえよ。俺はダンスなんざ踊れねえって言ってんだろ?」
「そうはおっしゃらずに、一曲だけでもよろしいではありませんか」
「ええぜひ。うちの娘も、浅草の仲見世で貴方の錦絵を買い求めましたのよ。次の舞台はいつですの?」
「さあな、うちの戯曲家に聞いてくれ」
彼は肩をすくめ、艶っぽい笑みで女性たちを一瞥した。
「俺だって、早く舞台に立ちたくてしかたねえんだ。じきに楽しませてやるから、大人しく初日を待ってろよ。・・・・・・いいな?」
男なのに、その流し目は女顔負けの色気を放っている。彼を取り巻く女性たちは黄色い声をあげ、そしてすぐに紅潮させた頬を、恥じらい気味に扇子で隠した。
「彼は川上音二郎。なかなかの色男だろう?」
チャーリーは訳知り顔で付け加えた。
「最近注目を集めている新進気鋭の舞台役者なんだ。ちょっと前までは舞台といえば歌舞伎一辺倒だったんだけど、明治に入ってから新派という流れができてね。書生芝居なんていう、素人が寄り集まった舞台に人気が・・・・・・」
「チャーリーさん」
「ん?」
「いろいろ突っ込みたいことだらけなんですけど、とりあえず、どうしてそんなにここにいる人たちの素性に詳しいんですか?」
芽衣は、さっきから抱いていた疑問を口にした。
彼の持ちうる情報についての真偽はさておき、だ。旅のガイドさながらの親切な案内に、さすがの芽衣も首をひねらざるをえない。
「やだなあ、僕が特別詳しいわけじゃないよ。誰でも知ってる知識じゃないか。ああそれとも、歴史の授業は睡眠にあててたクチかな?」
「なっ・・・・・・歴史の授業は好きでしたけどっ」
条件反射で出た言葉に、芽衣ははっとした。
そう、自分は歴史の勉強が嫌いではなかった。少なくとも理数系の教科に比べればずっと興味を持って取り組んでいたような気がするが、でも、だからなんだと言うのだろう?歴史が好きなことと出席者にまつわる情報との間には、なんの関係もないはずだ。
「ところで芽衣ちゃん、ローストビーフは食べなくていいの?そろそろ売り切れそうだけど」
「!」
それを早く言えとばかりに、芽衣は肉料理の並ぶテーブルへと駆け出そうとしたーが。
深緑色のなにかが視界を遮る。勢い余って額がぶつかり、芽衣は「あいたっ」と声をあげた。
「ーおい、娘」
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