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心の動きを素直に受け止めてどう表現するかを大切にしたい

私は、自分で感受性豊かだと思っている。
でも、感じたことをどう表現しているのか、ふと考えると、今まで表現することをさぼってきたのではないかと思った。

太陽のような表情で喜びを、人目をはばからずに涙を流して悔しさを、周りが圧倒されてしまうくらいの勢いで憤りを表現できる人はとても素直でうらやましい。

もちろん限度はある部分はあるけど、でも自分に素直ってことは自分を大切にしているような感じがしてうらやましい。


最近、今までの友人関係のことをぼんやり考えていたときに、気づいたことがある。

私は友人に依存しないし、深く追わない。この性質が要因となって、友人が多くないんだろうと思っていた。
でも自分に対しての見方が変わってきて、違うことも要因となっているのではと思うようになった。


それは、感情を素直に受け止めて表現しなかったこと


嬉しい、楽しいを表現することは比較的できたと思うけど、怒りや不快の感情については、大切にしなかったなと気づいた。

怒りや不快の感情を相手に表現するのはとても難しいし気を使う。

それでも、自分が感じているその感情を大切にして、そして目の前にいた友人たちも大切にするためにめんどくさがらずに工夫して表現するべき場面がたくさんあった。

私は表現しなかった。
しなかったのに、いやしなかったから、怒りや不快はどんどん大きくなって、扱いきれなくなってしまって、結局は相手と離れることで怒りや不快を生まないようにした。

よくよく考えたら、私は結構この方法に頼ってきた。


辛いニュースや、涙を誘うドラマなどが苦手だ。

すぐに心が辛い気持ちになって、泣きそうになるし、悲しい気持ちでしんどくなる。

だから、避ける。

これは友人関係の怒りや不快の表現とはまた違うのかもしれないけど、やはりこちらも避ける。

気持ちがしんどくなった時にそれをどのように扱ったら良いか分からない。

でもどうしても生きているとどうしても避けられない。

日本中が大きな悲しみや悔しさ、恐怖を感じたニュースが連日報道されていた時、どうしても見ておきたいと思った。
当事者ではないが、たくさんの悲しみや悔しさをみんなと一緒に感じておきたいと思った。

その日の報道を見た私は、あまりにも大きな悲しみに、ただただ涙を流してそれを表現することしかできなかった。



私は、仕事で大切な人が転勤するなどの時に何度か泣いている。

なんでだか、涙があふれてくる。

ありがとう、たのしかったよ、またいつか一緒に仕事しよう、元気でね
そんな気持ちが涙となって表現される。

ちなみに、誰も泣いていない。


私はよく「楽しそう」と言われる。

私はよく「怒っているのがよくわかる」と言われる。




友人関係について振り返ったのをきっかけに、自分の感情表現について考えてみたら、結構感情まる見えタイプだった。


「なんじゃそりゃー」「できてるんかーい」


って一瞬思った。
でもただ、自然と涙がこみ上げることや、怒りが目に出るなどの自然に表現していることとは別に、感情を味わって言葉や、味わったうえでの表情で表現ができるようになりたい。

これができるようになるには、毎日心に起こる感情の動きに敏感になっていくことが大切。


せっかく感じたことだから、味わっていきたい。
いい感情も嫌な感情も無視せず大切にしたい。


それができるようになったら、私がnoteを始めるときに思っていた頭の整理も自然とできるようになるんじゃないかと期待している。


んーこれもまた修行が必要やな。


では、また。




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