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神でも監督でもない

※特定の炎上を指してはいません
炎上することが多い世の中、誰かを傷付けない事は勿論大切だ。怪我や損害を与えてしまった時は 除くとして、一つの発言や失敗でも叩かれる風潮もどうかと思う。

現実はドラマのように全て脚本があり、こうするのがいいと全体を通して考えられたものではない。
予想外のことは起こるし、感情に左右されたり考えが甘かったりというのはよくある話だ。
それに対して正しいか否か判定するのはその時その場にいる人だった。

誰もが発信する側になって、判定する人が大量に増えた。今までは正面を向いて演じていればよかったのに、360度全てが舞台になった。
失敗したとき後から考えれば分かったのにと思うことはあると思う。
現実には台本はない以上、無理があるんじゃないかと思う。
結果が出てからこうすればよかったのにと言うのは誰だってできる。

(人数が多い)公の場での発言、言動なのだからもう少し考えるべき
私はあなたの〇〇で傷付いた

というのが要約すると批判している人の意見のように思う。
しかも公の場に発信するつものではなく、あくまで私的な私の意見として書かれる。
だから、自分の発言はありとあらゆる環境状況の人に配慮する必要はないし、感情に左右されてもよいし、深く考えずに発言しても問題ないと考えているようにも思う。

多分本当に私的な発言のつもりだからそうなるのだと思うが、ネットは公の場だ。よそ行きの言葉で頼む。自分はやっていないことを人には当然のように求めるのはあまりよろしくない。
ただ、これはそのうちギャップが埋まっていくと思う。
日本はうちと外の感覚が曖昧というのをいつか現代文で読んだ気がする。
それも影響があるかもしれない。

ただ、公であることを意識した上で批判する人もいる。

私は〇〇なんて酷いことはしないから言う権利があるというかもしれない。

確かに〇〇はしないかもしれないが、✕✕は、△△は、☆☆は■■はどうだろう。気をつけるところは無限にあるからいつ失敗してもおかしくない。 なんなら高齢者になったとき交通事故を起こすかもしれない。誰にも批判されずに生きていく事はとても難しい。

だからもし誰かが何かをやらかして批判したくなったとしても、言葉をきちんと選んで書いた方がいいと思う。
自分も失敗するかもしれないと思えば、そう攻撃的には書けないのではと思う。
謙虚なのは大事だなと思った。


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