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できないひとがいると、ふつうのことが嬉しく思える

 今の職場に「できない部署」があります。

 できない人ではなく、できない部署です。

 私は他のさまざまな部署からデータが届いて、その内容をチェックする業務に携わっています。

 中にはうまく伝票・資料を作ってくれる人もいますし、詰めが甘い人もいます。

 それは別にどうだっていいんです。

 私は書類チェックをするのが仕事ですから、間違いを指摘するのは当然です。

 人間ですから間違うこともありますし、それが何度かあるくらいで怒っていては仕事になりません。

 ただ、ひとつの部署だけ圧倒的に出来が悪いのです。

 何年も前から同じことをやっているのに前例を見ていないとか
 調べればわかることを何度も聞いてくるとか
 相談もなくむちゃくちゃなことをやってくるとか
 資料もなにもなく口頭で相談にくるとか

 よくそれで仕事できるね?ってレベル。

 ひとりならそういう人だからって諦めもつくのですが、その部署のほとんど全員がそんな具合です。

 先日、できない部署とは別の部署からちょっとややこしい案件が提出されました。
 それなりのマニュアルはあったのですが、あまり件数の出ない内容だったので時間がかかりそうな内容です。

 特に事前の相談もなかったのでどうかな~と思ったのですが、補足のメモなどが十分に付いていて何の問題もなく処理できました。

 そのときの私は感心しました。
「すごいじゃん」と。

 いや待て、当たり前では。

 マニュアルがあって、ちょっと判断に迷いそうな箇所にはメモを付けてチェック担当が確認できるようにする。

 仕事ってそういうもんでしょ?

 私はできない部署に影響されて「できる」のハードルが地面スレスレになっていたようです。

 思えば似たような経験をしたことがあります。

 高校卒業後、コンビニのバイトをしていたときのこと。

 初めての接客業。
 毎日いろんな人を見てきましたが、コンビニ店員とはとかく舐められがちでひどい客に当たったことも数えきれないほどでした。

 それでも良い人はいるもので、レジでの会計が終わったあとにお礼を言う人に心が温かくなったことを覚えています。

 でもそれ、そんなに美談とかではないですよね。

 挨拶とかお礼とか、もちろんありがたいですけど、普通にできるはずなんです。

 小学校1年生が教わるようなことですよね。

 それができない人がいることで、世界全体に求めるレベルがとてつもなく低水準になってしまっているのです。

 今の職場でのできない部署もその挨拶ができないコンビニ客と同じ作用を持っていました。

 できる人のありがたさを発見して感謝するってのは大事な気付きではあるのですが、あまり褒められた話でもないようにも思います。

 ちょっとモヤッとしつつ、世界ってこんなもんかもと諦めてもみたり。

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