見出し画像

配慮と無差別

「健常者と差別はしてほしくないけれど、配慮はしてほしい。」

このような考えかたを福祉の現場にいると
よく耳にする。

合理的配慮という堅苦しいコトバも
よく目にする時代に突入した。


至極あたりまえのことを
なぜ明確に決めなければ人は行動に移せないのか


幼いころから疑問だ。


なぜ、包丁や家財道具が飛び交う夫婦喧嘩が起き
なぜ、経済状況によりイジメられ
なぜ、所属する集団や組織で区別され
なぜ、誰かが決めた普通やあたりまえの線路を歩まなければならない。

幼稚園や小学生で学んでいるはずのことを
僕たち大人は果たしてできているのか?

であるならば、もっと優しくて
生きやすい世界のハズだ。


優しくてなにがわるい??
恥ずかしい?偽善にみえるか?
いやいや、冗談はやめてくれ
それはあんたが人を見る目がないだけだろ。

自分がしてほしいことを
相手にしてあげたら
そりゃあ幸せだ。

傷つけることを良しとするバカは
よほどの変態だ。
自分より弱い立場の人や生物を
平気で傷つけるくせに

自分は擦り傷を負っただけで喚き散らす。
心身共に。


上も下も縦も横も
みな気にし過ぎだ。

どこかのラッパーは
「他人の芝生より自分の庭の手入れ」と唄う


まさにそのとうりだ。

真の人間の価値なんてものは
どんなに着飾ろうとも
丸裸になった状態ですぐわかる。


自分はそうはなりたくない。

着飾ろうと
寝間着だろうと
いつだって素直で優しい自分でいる。

肩の力を抜き
何にも干渉しなくなり
目の前のことに一所懸命になれるとき

見えてきた世界は変わった。

そう。確かに変わったんだ。
分かるひとには分かるんだ。


ホントに大切なものは
「目」には見えない。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?