本日の解離性障害日記

とある精神疾患関連のnoteを見たんですけど、
感情や正義感の当てつけだらけで目も当てられないですね。

私だって人をそれなりに愛してはいます。
自殺者が増えることに悲しみを覚え、変えないといけないとは思います。
でも、私には「正義感」はないのですよ。

ではなんと言うかと言うと、「危機感」です。
全の内の個として、私は今の社会に危機感を覚えている。
全滅する未来が有り得るからこそ止めようとする。
「絶対にこうしないといけない」世界は存在しない。それこそ「正義感」と呼べる人間の感情です。

私は「自由」が好きです。「自由」という「正義」を持っています。
ついでに「最多最大幸福」を願い行動しています。これもまた「正義」です。
ただ、「自由を守って欲しい」だとか、「最多最大幸福を一緒に背負って欲しい」なんて「正義感の当てつけ」はしません。
だってそんな統一化楽しくないですし。

だから人を騙し自分の正義に近づけさせる

のです。

別にそれ自体は罪だと思いませんし、他の人の信念や正義に挫けることもあります。
それで私が引きこもり自殺したとして、それは私の弱さだと受け止めるでしょう。
他の人にこの考え方を強要するつもりはありませんが、私が罪に問われる言われはありません。
そして、それを私にとっての罪と認識できるようにしたならそれは認めましょう

だいたいそんなもんです。
ただ、あまりにも些末な「説得」を試みるのはとても不快です。死にたくなるほどに。

何度言ったらわかるのやら。
怒りを見せて脅して、それは「相手の自由」を保証した結果になるのでしょうかねぇ。
私は恐怖を実際に感じたりはしませんが、恐怖に似た感情を出す時に「疲れる」のですよ。
心の熱量の減少です。

ひとは何一つ変わっていない。
自由が保証されたというのに他の人の自由は保証しない。
争うことは野蛮人のやることだし、脅すことも恐怖政治と変わらない。
弱肉強食。この世の摂理は変わらないのですね。

まぁ、疲れてきたので寝ます。おやすみなさい。
起きてたらまた愚痴でもタメになりそうな経験でも語りますよ


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