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ダメダメだった1年生の秋シーズンと年末のカップル結成

新人戦を皮切りに、秋シーズンは毎月のように競技会がありました。
覚えているものだけでも、阪関戦、同立戦(今はない)、京大部内、西日本モダン、東西対抗、秋関ラテン、秋関モダン…と続きます。

1年生にとって最初に出る新人戦が阪関戦でした。
そのあとは試合ごとに相手を変えながら、競技会に臨みます。今回はそんな記憶を辿ってみたいと思います。


すぐ勝てるはずもないのに不貞腐れていた私

最初の新人戦で結果が振るわなかった私は、そのあと猛練習をしたか…というとそうではなく。ダラダラと部活の練習時間だけに参加するという生活を送っていました。

なんとなく部活に行って、なんとなく授業に出る。
そしてなんとなくバイトに行く。明確な目標のないままの生活でした。

当時は週2回の練習会のほかに、ダンス部がいつでも使うことができる20畳ほどの場所がありました。
各部活動が入っているビルの2階にダンス部の部室があり、エレベーターを使って上の階に行くとそのフロアはありました。7階にあるから「7階に行ってくる」というと(あぁ、これから練習しに行くんだな)とわかりました。

そこを使って練習しているのは、おもに先輩たちでした。
それからやる気のある1年生。試合前になると、私は練習熱心なパートナーに連れられるようにして7階に上がります。

実際の床はPタイル張りでした

シャドーという言葉があります。
シャドーボクシングというように、それが社交ダンスの場合は相手と組まずに一人で足型を追いかけて動きを確かめる練習です。
決められたステップを覚えるのは最初の段階、次に行うのはシャドー練習。
シャドーをどれだけやるかで、そのあと相手と組んだ時にグラつかずにうまく踊れるかが決まります。

それまで運動音痴を自負してきた私は、そのようなことを知る由もなく、ただ単に練習嫌いの一部員だったに過ぎませんでした。
もちろん、シャドーのやり方さえわかりません。とりあえず7階に上がったら足型を繰り返す。なんとも幼稚な練習です。

当時の私は、社交ダンスがその後の人生の節目で大きく関わってくるなどとは露ほども思うことはありませんでした。

練習不足のままコンペに出てみたら

練習はしていなくても、競技会の日はやってきます。
そう、勉強不足のまま期末テストを受ける感じです。当然、勝てるはずはありません。

「一発」「二発」という言い方をします。
一発は一次予選落ち、二発は二次予選落ちのことです。
当時、関西には大学が8つあり、それぞれの大学にカップルが10数組~30数組くらいいました。

私のいた大学は創部してまだ浅いため、古くからあるほかの大学の足元にも及びませんでした。「620番台を背負っているからチェックが入らない」と自虐気味にいう先輩もいるくらいです。

当然、私は一発落ち。よくて二発。
チェック数を数えても、惨憺たるものでした。

「あと2チェックあれば準決に行けたのに!」と悔しがる同期を横にして、私は悔しいという感情すら湧いてきませんでした。
そりゃそうですよね。一生懸命練習してチェックが入らなかったら悔しいけれど、その練習すらしてこなかったのですから。

当時の私は予選を通過して決勝に残るカップルの踊りを見ても、どこがいいのか上手いのか、サッパリわかりませんでした。
スタンダードの動きが難しいのもあるのですが、女子と近づいて踊るなんて動きづらさの極致ではないかと今でも思っています。

・まずはホールドを崩さないこと
・次にまっすぐ背すじを伸ばすこと
・そして音を外さないこと
…とにかくこの3つを意識するだけで精一杯でした。それじゃ、勝てるわけもないですよね。

決められた競技会には出るのですが、【今日は一発かな、それとも二発かな】と思うようになり、前向きにダンスに取り組む姿勢はいつまでたっても現れません。
勝ちたい気持ちとは裏腹に、やっぱり◯◯大学は頭がいいからダンスもうまいんだ、とか。身長が高いヤツは目立つから勝つんだよな、などと思い始める始末。

しかしそれは、実際にその通りで…。
語弊を恐れずにいえば、社交ダンスは脳筋ではできないスポーツだと思います。体のイメージや動きを理解する力、それが身体感覚であっても頭脳先行であっても、とくに男子は理屈がわかっていないと上達しないと思います。

身長があってかしこい大学のカップルが決勝に残るんだ、と拗ねることは自己を正当化していたに過ぎないのですが、一面では真理を突いています。
結果が出るからこそ面白くもあり、残酷でもあるのが競技会なんだと思います。

年末のカップル結成

一発、二発を繰り返していた私を尻目に、成績を出し始めていた1年生のカップルもいました。
私は予選を通過すればラッキーだし、決勝に行くなんて夢のまた夢。決勝に残った同期のI川を羨ましく思う反面、ズルズルと流されるままに私は部活に参加していました。
辞めようと思ったのは、後にも先にも夏合宿の最終日だけ。不思議といえば不思議です。

そして12月。
このタイミングで4年生は卒部して、3年生が幹部になります。
1年生は来年からの競技会に向けて固定のカップルを組む時期です。

うちの大学は1年生が男子5名、女子は20名強。
男女比が釣り合うわけがありません。2年生の女子でフリーの先輩もいます。女子はもちろん、男子にとってもソワソワする時期です。

カップルを決めるのは、幹部の3年生と神様の4年生。
ここでも事前に1年男子に聞き取りが入ります。いちおう、希望は伝えるのですが、それでも発表当日までは誰と誰が組むのかは一切、知らされませんでした。

それはリーパー会議、と呼ばれていました。
リーダーとパートナーを決める話し合いだからです。
「今日、リーパー会議あるらしいで」
「そうなん、どうなるんやろなぁ」
…なんて会話をたぶん、していたと思います。

会議はたぶん、こんな感じ

やがてリーパー発表の日
練習会の終わりに部員全員が集まり、「◯◯と◯◯がカップルで」というご神託が告げられます。
それを不満に思う者もいれば、よっしゃ!と感じた者もいたでしょう。

そもそもの男女比がアンバランスなため、悲喜こもごもというよりはガッカリしてしまう女子部員の姿が記憶に残っているのは間違いありません。

私は一つ上のH川先輩と組むことになりました。
面倒見のいい先輩で、私の性分を考えてのことだったのでしょう。
身長のバランスもよく、年明けからラテンの練習を始めようと言われました。

ひと通りの発表のあと、先輩方は組めなかった1年生女子のフォローに回ります。
2年生になってもシャドーでダンス部を続けるのか、それともここで一旦、引くのか。もちろん、4月の新歓のことを考えれば部員数は多いほうが活気があります。
とはいえ、カップルを組んで競技会に出られないのに部活を続けるようにも言えません。すこし後味の悪いリーパー発表の日が終わりました。

physical, mental, spiritual and social well-beingに生きるお手伝いをしています。2020.3に独立開業しました。家族を大切にし、一人ひとりが生き生きと人生を楽しめる社会が訪れるといいなと思いながら綴っています。