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ひとりっ子外食考


昔から外食が好きである。私の両親は大学教授で、私はその両親のもとに生まれた一人っ子だ。小さい頃からいかにも上品なレストランで、膝にナプキンを置き、小さく切ったハンバーグの切れ端をスッと口に入れ、

私「お父さん、このハンバーグおいしいね。」

父「そうだね、母さんの方のステーキは、お味はどうですか。」

母「とっても美味しい。グレイビーソースがとっても上品で。」

などといった会話を繰り広げて見せる。しかしながら家ではこうだ。

母「いやーーーーっ! はじめ! あんたお皿までこんなに綺麗に舐めて!」

父「イケッ! どんどんやれ! エコだな。お父さんもやろうかな。」

母「まあ、こんなにきれいに舐めてくれたら作った私も本望だわ。」

私「ベロベロレロレロ! ベベロベロベロ! レロ~ンレロ~ン。」

これが我が家の真実である。我が家においてテーブルマナーは極めて無いに等しい。小島家の食卓はフリースタイルダンジョンなのだ。そのせいか、私はわりと裕福な家庭に生まれたのにも関わらず、かなり意地汚い。プラマイゼロ、むしろマイナス。

外食がなぜ楽しいのか、それはこの落差にある。
家では、それぞれが各自欲望を突き詰めた地獄のテーブルマナーでガハハと笑い、他人の目がある外食の際は、ちゃんとしたフリをする。
レストランのドアを開ける際、寿司屋の暖簾をくぐる時、ホテルレストランの受付を通る時、私たち家族は心の中でこう叫ぶ。

「ショートコント! 『外食』!」

目的よりもその為の行為を愛してしまった時、そこには「フェチ」があるんじゃないかと思う。私にとっては美味しいものを食べるより、素敵なお店の雰囲気を楽しむよりも、外食をするという事実がその対象なのだ。
テイクアウトでは味わえない外食の緊張感や共犯感。COVID-19の蔓延により、外食産業が危機に瀕している今だからこそ、こんな風変わりな外食の楽しさを伝えねばと思う次第である。
そういう類の変態人間の私から、楽しかった「外食」をお店とともに紹介する。


【銀座スカイラウンジ】

東京會館のマロンシャンテリー。白い卓上に上品な佇まい。

東京メトロ銀座線の有楽町駅から徒歩3分、東京交通会館の最上階にあるフランス料理店。
東京の大学院への進学を控えた3月中旬。新生活に向けて銀座の無印に買い物へきたついでに、銀座スカイラウンジでランチとお茶をした。
真っ白なテーブルクロスや白磁の食器たちとウェイターさんの真っ黒な制服のコントラストが、私たちに緊張感をもたらす。声量は普段の半分以下、どことなくすまし顔。
暗黙の了解で、外側からカトラリーをスッと取って使う。テーブルの下には、無印で買った品物でパンパンに膨らんだリュックが、もったりと身を潜めていた。


【黒茶屋】
籠にはいった先付け。コフレのような詰め合わせはいつだってスペシャル。

新宿から車で1時間。奥多摩の秋川渓谷にある懐石料理の料亭。令和2年の夏、TBS日曜劇場の『半沢直樹』では、いかにも悪そうな上司たちが、毎週のように料亭でちょびちょびと料理をつまんでいた。それを見ていた父が隠れ家っぽい料亭に行きたいと言い出した。
こういった和食は、「これは一体なんだろう?」と話しながら食べるのが醍醐味であるが、極悪上司らはそんな話はしない。各々がそっとお品書きを見て、納得し、帰りの車の中で写真を見ながら答え合わせをしたのだった。


こんな所でまずは2軒ほど。またちょくちょく楽しかった外食の思い出話したい。
これを読んでくれた画面越しのあなたも外食の思い出など教えて下さい。ほな!

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