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名も知らぬ小学生に教わった、好き。の大切さ。

好きなことって消費するだけ、自分の欲を満たすものと思っていたのです。

それだけじゃないなんてきれいごとかな?くらいに。あの日それがすっかり変わりました。

私はすごく映画が好きです。いろいろな価値観に触れることが好きで、同時に、映画好きといっぱい話してみたい!という好奇心がありました。

そして、その頃、こちらのボランティアに参加しました。2017年なのでもう3年前ですね。そこで貴重な体験をしました。

映画館を飛び越え、野外やカフェ、様々な場所で新しい映画の楽しみ方を提供してくれるキノイグルーさんのイベントです。

その二人が最初で最後かもしれないボランティアを募集されてました。

私にとっては、大好きなお二人と映画に関われる、一大事でして、やるっきゃない!と即応募しました。

その時のボランティア当日の内容は、

芝公園での大好きなミシェルゴンドリー監督の映画上映です。

まず、来場者に、首に下げられる紙に、3つ好きな映画を書いてもらって、
その3つについてボランティアが聞きまわって、他の人との交流をしやすくする空気作りをしました。

写真は夜で別の日のイベントなのですが、夕方、日が沈む前に皆で声をかけて行きました。

10〜15人くらいには話しかけたと思います。

話しかけてみよう!と思うものの、全く知らない人に話しかけるの少し躊躇します。

映画みようとしてる、それぞれの空間に入り込むことなどできるのだろうか?と1秒くらい思いましたが、悩むより行動のが大事だと思うので、

思い切って、

強面なお父さんといる夫婦に、話しかけました。

最初そういうイベントと知らなかった人が多く、急に話しかけてきた見知らぬ女に、「ぇ?」と困惑しているのです。

「ボランティアで話しかけて映画の話をしてるんですよ」という説明と、お父さんが書いてある、好きな映画を聞いて、「見たことないのですが、めちゃ気になってます!」と言いました。

たちまち魔法のように、ニコニコの笑顔になって、丁寧にご夫婦で好きな映画ことを教えてくださりました。すごい、これは本当すごい変化だった。

人って自分の好きなこと話してると笑顔になれるんだね。

そのあとは、ギャルな2人に話しかけました。

とても勇気がいりましたが、話しかけたら、「え?何この人?」って感じで、最初とっても困惑されてしまいました。

しかし、すごい昔の、レトロな映画ばかり好きな子で、その意外な面が、なんだか嬉しくて、心が近くなってホッとしました。
だって、見た目と中身の差がある人は心のポケットが大きいも思う。受けいれる幅を持ってる。だからほっとする。

好きな映画の話題一つで、人の表情が氷みたいなとこから、ポカポカ笑顔になることを知りました。それがとっても心地よくって、どんどん人に話しかけて、全てとてつもなく楽しかったです。

最後に小学校低学年の男の子に話しかけました。おそらく小学生2〜3年生で、小さかったです。

夕方から夜のイベントですが、暗くなった時間に幼い子が1人で来てたのでとっても気になって話しかけました。芝生に、ぐーたらな卵の絵付きのシートに三角座りで座ってるのです。(あのキャラなんだったかな?)

その男の子は近くに住んでいる男の子で、途中で帰ってくるなら良いよ。とお母さんに言われたようです。

名前を聞いても、教えてくれなかったです。

確かに子供が、知らない大人に名前を教えたら危ないですもんね。その子の表情が、その日話しかけた人で一番冷たい表情でした。

されど、名前は聞かずとも、私は諦めずさっき積み上げた皆の笑顔を思い出して、少しは笑顔を観れたら嬉しいと思ってしばらく話しかけました。

大人にも表情の変化があるのだからきっと映画はそういう力があるんだな。と信じておりました。

そしたら、好きな映画を書く紙に、

書ききれないからと、紙を2枚ももらって好きな映画を6つも書いていた。

⇩この上部の写真が彼の手書きのやつ。もう一枚は写真紛失しました・・・

それをみて私は

「めちゃ可愛いとこあるね!好きなのいっぱいあっていいね!」

と言いました。『クールであるものの、やっぱり小学生だった。よかった〜!』と思ったら嬉しかったです。

映画の話少ししました。そしたらすごし表情が緩んできてたから嬉しくなって、

「すごい映画みてるんだね!すごい!お父さんとかお母さんも映画好きなの?」と聞いたら

少し表情が緩んだ!と思って安心していたのに、

急に曇りまくって、暗黒顔になった少年。

そして一言

「父さんはいないんだ。 
父さんは死んだんだよ!

家族は誰も映画を見ないよ。」

と、言われ私は多分、無言になった。

私の表情がポカポカ顏から氷へ行くというまさかの出来事。そのあと、びっくりしすぎて、何を話したかわからない。

多分、「そっかそっか・・・どうやって好きになったの〜?」とか当たり障りないこと言ってしまった気がする。言葉が見当たらなかった。

私のあたまに駆け巡る葛藤。

『これはなんかの運命か?名前聞いて、連絡先聞いて、今後の人生ちょっとでも支えられる文通相手にでもなるべきなのか?』

けど、名前すら教えない子にそれは難しい。

そんなことしたら怪しいおとなの極み!と思いました。

こんな警戒心強い子には絶対だめだ・・・と。

私は子供好きではない方だと思っているのですが、そういうことまで思いました。

あと10才くらい年とっててくれたら、友達になれたかもなのに!さすがに低学年とは、いろいろ障害があるね。できれば友達として関わりたかったなぁ。

そのあと、何も聞かずに、映画楽しんでね。と言い別れました。(私の友達が他の場所で待っていたのもあります。)

そのあと、すごく考えたんですね。帰り道。なんもできなかったなぁ言えなかったなぁと、

後悔の消化をしつつ。

死んだっていうのは嘘かもしれないけど、彼の明らかに持っている影と、今後抱えるであろう悩みごとが、なんとなく自分の人生に重なったのかもしれません。

いろいろ考えて、結論に達しました。

彼のそばに、映画があって良かった!!

だって私が支えずとも素敵な作品たちに出会えば、きっとそこで支えられるんだから。

と思った。

元気でいてもらいたい、支えたい!とおもう人がいたとする。
だけど、近くで支え続けるのが難しいときもある。

その人の辛いとき、心の重い時間を、私の変わりに支えてもらえる時間なのだと思った。

音楽、本、映画、絵画、全ては途切れそうな命の時間を繋げてくれている気がした。

だって、ずっとは一緒にいられない。どんな人とも。

私も思い出だすと好きなことにたくさん支えてもらっていたし、そこから広がった世界もたくさんあって、自分の景色が濁ってても、透き通った視野への変換、
新しい視点からのみえかた、そこでの気づきや、強ささえもらっていた。

だから、大人ばかりの場所へ夜、一人でシートを持って芝生へ来た彼の行動力を思い出し、

そんだけの映画愛があれば大丈夫だ!と確信した。

そいういう、大切なことは、年齢関係なく誰からでも学びはあるなぁということを知りました。

あの少年に今でも感謝しているしたびたびこのことを思い出すのだ。

いつかもし、会えたら今度は葛藤せず、どんな年齢にも対等にそんな話をしたい。

そのために、もっと好きなことたちを大切にしていきたいと思います。

その後の映画で出会いがあったので書いたこともお時間あれば
読んでいただけたらいろいろ気づきがあるかなぁないかなぁという感じです。(どっち)

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