見出し画像

正しいか正しくないか正しくも正しくなくもないか

どーも。寝るまでは今日。生成りです。

今日はペルシャンレッスンという映画を見ました。
ナチス党に捕えられたユダヤ人の青年が自分をペルシャ人と偽り、ペルシャ語を学びたいナチス党の大尉にでたらめなペルシャ語を教えて生き延びるという映画でした。

やっぱり戦争映画は苦しくなります。
簡単に人が殺されて、"処分"される。
かと思えば今度は処分していた側がされた側になる。
上に立つものによって正しさがどんどん入れ替わる。
正しいか正しくないかなんて綺麗に2つに分けれるものではないからこそ戦争なんてものが起きてしまうのでしょうが。

自分が正義と信じるべきものはなんなのだろうとか、
ドイツ人の子ども達はどんな風にこの惨劇を教わるのかとか、
今の世界情勢を重ねてみても、映画を見て苦しみ、どこか他人事にしか考えられない自分の愚かさを憂いたりとか、
なんか色々考えてしまいました。

んーー苦しいですねやっぱり。

帰り道、とぼとぼ歩いていたらふとこの画像の言葉が目に入りました。
「閉じこもると誰もが乱暴になる
みんなつながりの中で生きている」

一度通り過ぎ、数歩歩いて、
「ユダヤっていう欲しくもない"つながり"をもらってしまったことも正当化しろと??ふざけんな」
なんて風に考えてしまってUターンしてパシャリ。

わかってます。つながりの中で生きていて、1人じゃ無力だということは。
今着てる服も今日食べた納豆もペルシャンレッスンという映画も全部全部人とのつながりの結果受けることのできた恩恵だということは。

ただつながっていなきゃダメで、つながりを拒むことが許されてないような気がしてむしゃくしゃしてしまいました。


もうちょっと帰路を進めたら、
居酒屋の前で別れ際の男女4人グループが「サランヘヨ〜〜〜!!愛してる〜〜〜!!」
って言ってた

おわり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?